三国志1 三国志I 三國志1 三国志I

 ハンドブック紹介

 

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   三國志ハンドブック 読み物  
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基本データ

●概要

 ここには、各所に点在してる読み物をまとめた。
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三國志故事来歴

●概要

 三国志由来の故事成語を紹介する項であり、第2部と第3部の各所に点在している。なお、並びは50音順である。



●本項の構成

ページ タイトル
69 三國志故事来歴@
73 三國志故事来歴A
121 三國志故事来歴B
125 三國志故事来歴C
147 三國志故事来歴D



●呉下の阿蒙(69ページ)

 呂蒙の勤勉ぶりに由来する故事であるが、「呉下の阿蒙」自体は、相手を馬鹿にする言葉である。三国志の中でも有名なエピソードではあるが、『三国志演義』には登場せず、正史の注釈の「江表伝」を出典としている。



●法を制して自らこれを犯さば、何をもってか下を師いん(147ページ)

 曹操が軍法の順守を言明した直後、乗馬が暴れて自ら法を犯したことがあった。この時、曹操は自らの髪を切り、その責任を明らかにした。今日の日本の価値基準では、「頭を丸めて謝意を表明する」に近い白々しさがある。

 しかし、儒教社会においては、父母より賜った体の一部を傷つけることは禁忌であり、それは髪の毛も例外ではない。その行動の意味するものは、現代人の印象よりもはるかに重大であると言える。

 なお、この件は「曹操が刺激的である。」において曹操の機知を示す一例として取り上げられており、語り手の草森紳一は、わざと軍法を犯し、上述の処置を行う事で、全軍に軍法遵守の重要性を示したと解釈している。
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各種コラム

ページ タイトル
86〜90 ・迷君主と名参謀
91〜92 ・ライバル智恵くらべ
93〜94 ・選良へといたる道
95 ・天才孔明の大発見
96 ・奇妙なる生物、宦官
115 ・一将功成りて万骨枯る



●迷君主と名参謀

 「曹操と荀ケ」、「孫権と周瑜」、「劉備と諸葛亮」の3項目で、魏呉蜀の君主と参謀の関係を紹介する。この項のタイトル部分には間違いなく「迷君主と名参謀」と記されているが、おそらく「名君主と名参謀」の誤植であると思われる。



●選良へといたる道

 後漢松の人材登用システムである「郷挙里選」を紹介する。その1つの「茂才」は、本来「秀才」であったが、後漢の建国者である光武帝劉「秀」の名を憚って「茂才」になったという話は、ここを読むまで知らなかったため、ここに特筆しておく。ちなみに、この制度自体は前漢から行われており、前漢では「秀才」と呼ばれてたという



●一将功成りて万骨枯る

 当時の民衆の悲惨な生活ぶりを紹介している。また、その顕著な例として、後漢末には4715万人であった人口が三国時代末には800万まで減っているというデータを出している。

 このデータは各所で引用されているが、この数値は「戸籍数」から算出したデータであることを考慮する必要がある。つまり、「戸籍を失った人間」は、こうしたデータの対象外になるということを忘れてはならない。

 この場合の「戸籍を失った人間」とは、相次ぐ戦乱によって住居を追われ、流民となった人々である。彼らは有力諸侯の隷属民として組み込まれることで権力者の庇護を受け、その勢力拡大の手段となっていった。しかし、戸籍主の所有物であるため、戸籍には組み込まれないという問題があったようである。
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