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1555〜1610。親正の息子。織田家の家臣として秀吉のもとに配属され、1577年の紀伊侵攻に従軍、信長の死後も秀吉に従う。「慶長の役」では、2700人を率いて宇喜多秀家率いる左軍に属し、「蔚山城の戦い」では、包囲された蔚山城の救援に向かっている。
秀吉の死後は、家康に接近して会津遠征に従軍、「岐阜城の戦い」では、福島正則の隊に所属し、「関ヶ原の戦い」でも織田有楽斎、金森長近、古田重勝らとともに一隊を形成している。これらの一正の功績により、父の親正が西軍に属していたにもかかわらず、生駒家は讃岐国高松の領有を認められ、さらには2万3000石の加増を受けて17万3000石を所有することとなった。
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