戦国夢幻

 

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   戦国夢幻 武将 あ  
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●能力値
名前 天野景泰 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまの・かげやす 能力値
生没年 1514〜1568 軍師
登場年 1530年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 今川家 重臣 曳馬城 2.0万石 足軽
S2 今川家 与力 曳馬城 1.4万石 足軽
S3
S4
S5
S6 今川家 重臣 浜松城 2.0万石 足軽
●略歴 
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 生没年不詳。遠江天野氏の本家。犬居城城主。今川家に従属するが、「桶狭間の戦い」以後の今川家の衰退に伴い離反する。しかし、逆に所領を没収され、遠江天野氏の惣領職も一族の景貫に引き継がれることとなった。
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●ゲーム 
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 史実では、景貫と一族の関係にあるが、恐らく本作では再現されていないと思われる。身分はそこそこ高いが、全体的に能力は低い。しかし、能力の低い武将が多い今川家では、この「外交」でも「ハイエナ作戦」のスカウト要員としての活躍を期待することができる。
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●能力値
名前 天野隆重 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまの・たかしげ 能力値
生没年 1503〜1584 軍師
登場年 1519年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 大内家 部将 山口城 0.3万石 足軽
S2 毛利家 部将 山吹城 0.7万石 足軽
S3 毛利家 部将 月山富田城 1.0万石 足軽
S4
S5
S6 大内家 部将 山口城 0.3万石 足軽
●略歴 
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 1503〜1584。安芸天野氏(金明山系)。はじめは大内家に属していたが、後に毛利家に仕える。1561年の「防長経略」の際には豊前の松山城を任され、後に大友軍の攻撃を受けているが、1563年に毛利家と大友家は講和し、松山城は大友家に引き渡された。

 1567年、月山富田城が落城し、大名としての尼子家が滅亡すると、隆重は月山富田城の城代となり、後に毛利元就の子の元秋を城代に迎えた。1569年には尼子残党の攻撃を受けるが、元秋と共に城を守り抜き、尼子軍残党の撃退に成功している。その後も元秋を補佐し、出雲における毛利家の支配を固めた。
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●ゲーム 
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 能力的は平均的、身分も常に「部将」で見るべきところはない。やはり適当な城での「内政」要員になると思われるが、尼子残党を撃退しているところなどからすれば、「戦闘」は高くても良い気がする。ちなみに、安芸天野氏と遠江天野氏は同じ先祖から派生しているが、おそらく親族設定などはないものと思われる。
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●能力値
名前 天野元政 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまの・もとまさ 能力値
生没年 1559〜1606 軍師
登場年 1575年 上昇 汎用
血族 毛利 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 34年後 宿老 0.0万石
S2
S3
S4
S5 毛利家 重臣 広島城 0.7万石 足軽
S6 毛利家 部将 広島城 0.1万石 足軽
●略歴 
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 毛利元就の七男。穗井田元清、毛利秀包の同母弟。1569年に生城山天野氏の婿養子として同家を継ぐ。1578年には「第二次上月城の戦い」に従軍し、その後も「唐入り」、「関ヶ原の戦い」に従軍、戦後は毛利氏に復帰し、周防国右田1万3千石を領有、右田毛利家の始祖となった。
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●ゲーム 
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 主な登場シナリオは5と6。シナリオ5では毛利家の一門衆ではないが、シナリオ6では一門衆となっている。また、「攻略本」によると、シナリオ1では34年後に登場することになっているが、未確認である。能力的には完全に平均的であり、「内政」や「登用」要員としては、それなりに使える。シナリオ5では身分も高いため、「大筒」を任せることもできる。
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●能力値
名前 雨森弥兵衛 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまもり・やひょうえ 能力値
生没年 1519〜1578 軍師
登場年 1535年 上昇 汎用
血族 備考 海赤雨の三将
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 浅井家 家老 小谷城 2.2万石 足軽
S2 浅井家 家老 小谷城 2.2万石 足軽
S3 浅井家 家老 小谷城 3.0万石 足軽
S4
S5
S6 浅井家 家老 小谷城 2.5万石 足軽
●略歴 
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 生没年不詳。近江国伊香郡雨森城の城主で浅井家に従う。久政の代に奏者を務め、長政の代には六角家との戦いで活躍したといわれるが、その詳細は不明である。
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●ゲーム 
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 「謀略」以外の能力は平均的で身分も高いため、内政や「登用」のほか、最序盤ならば、戦闘に投入することもできる。また、「謀略」の低さについても、プレイヤーが使用する限りはデメリットが少ないため、あまり気にする必要はない。しかし、情報が少ない彼の事績において、ことさらに「謀略」が低い根拠は不明である。

 なお、いずれのシナリオでも、彼は初期段階で小谷城に知行を持っている。しかし、小谷城は「強兵」城であるため、これを存分に生かすのであれば、城が増えたら彼の知行は他の城に移し、より「戦闘」の高い武将が「強兵」城の特性を有効に活用できるようにした方が良い。
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●能力値
名前 甘利虎泰 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまり・とらやす 能力値
生没年 1500〜1570 軍師
登場年 1516年 上昇 固有
血族 備考   
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 武田家 重臣 躑躅ヶ崎館 0.4万石 騎馬
S2
S3
S4
S5
S6 武田家 重臣 新府城 0.4万石 騎馬
●略歴 
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 ?〜1548。武田信虎時代から武田家に仕え、信虎追放の主導的役割を果たす。信玄の家臣としては、板垣信方とともに「両職」として武田家臣中最高位の地位にあった。

 虎泰は信玄の信濃侵攻に従軍し、1547閏7月年の「小田井原の戦い」では、信濃救援に向かった上杉憲政率いる関東管領軍を撃破した。しかし、1548年の「上田原の戦い」において武田軍が村上軍に惨敗した際、信方とともに戦死している。
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●ゲーム 
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 登場シナリオは1と6。身分と「戦闘」が高く、ゲーム開始時から戦闘要員として使っていけるが、全体的な能力は、相方の信方に対して大きく劣る。
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●能力値
名前 鮎川盛長 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あゆかわ・もりなが 能力値
生没年 1541〜1605 軍師
登場年 1557年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 16年後 部将 0.0万石
S2 上杉家 部将 新発田城 0.4万石 騎馬
S3 上杉家 部将 新発田城 0.4万石 騎馬
S4 上杉家 部将 新発田城 1.0万石 騎馬
S5 上杉家 部将 会津若松城 0.8万石 足軽
S6 上杉家 部将 新発田城 0.3万石 騎馬
●略歴 
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 生没年不詳。揚北衆鮎川氏。上杉家に服属する。1569年の「本庄繁長の乱」では、本庄繁長からの誘いを断り、謙信に忠誠を示したが、1578年の「御館の乱」では、敗者の景虎側につく。この時は勝者の景勝に許されたが、1581年の「新発田重家の乱」では傍観を決め込んだため、鮎川氏は没落することになった。
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●ゲーム 
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 主な登場シナリオは2以降。シナリオ5では、兵種が「足軽」になっている。「戦闘」と「謀略」に優れているが、身分は中途半端である。「謀略」の高さは「本庄繁長の乱」への対応、「外交」の致命的な低さは、「新発田重家の乱」あたりの対応の表れのように思われる。

●能力値
名前 荒木村重 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あらき・むらしげ 能力値 ×
生没年 1535〜1586 軍師
登場年 1551年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 10年後 部将 0.0万石
S2 三好家 部将 芥川城 1.0万石 足軽
S3 織田家 部将 伊丹城 1.0万石 足軽
S4 浪人 部将 有岡城 0.0万石 足軽
S5
S6 豊臣家 部将 芥川城 1.1万石 足軽
●略歴 
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 1535〜1586。元々は摂津池田家の家臣。1569年には主君の勝正に従い、「本圀寺の変」で窮地に陥った足利義昭を救援している。その後、池田家の内紛によって勝正が当主の地位を追われると、村重は池田知正を擁立し、家中の実権を握った。

 1571年、村重は「白井河原の戦い」において和田惟政を破り、1573年には義昭に従う知正と袂を分かって信長に服属した。村重は義昭の籠る槇島城攻略で戦功を立て、摂津の統治を任された。信長のむ村重に対する信任は厚く、1574年に信長が蘭奢待を切り取った際には、佐久間信盛、柴田勝家らとともに奉行の1人として名を連ねている。

 1574年11月、村重は義昭に組した伊丹親興の籠る伊丹城を陥落させた。戦後、伊丹城は信長より村重に与えられたため、村重は伊丹城の名を有岡城と変えて居城とした。
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●暗転
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 以後、村重は一向宗との戦いで各地を転戦しつつ、原田直政、細川藤孝らとともに大坂の本願寺攻略にあたった。しかし、1576年に直政が戦死すると、信盛が指揮を執ることとなり、村重は彼の指揮下に配属された。さらに、村重は摂津に隣接する播磨の対処にも当たっていたが、こちらも秀吉が配属されると、その指揮に従うこととなった。

 村重は秀吉の中国侵攻に従っていたが、1578年10月になると突如有岡状に引き換えし、信長に反旗を翻した。光秀、秀吉、松井有閑らが説得にあたったが、村重は降伏を拒否し、織田軍の攻撃を受けた。

 しかし、まもなく高山右近、中川清秀らの属将は投降し、頼りにしていた毛利の援軍も来なかった。1年に渡る籠城の末、村重は単独で有岡城を抜け出し、嫡男の籠る尼崎城で抵抗を続けた後、最後には毛利家のもとに落ち延びた。信長の死後、村重は秀吉の側近となり、「利休七哲」の1人に数えられるほどの茶人として名を残した。
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●ゲーム 
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 ゲームでは「戦闘」が高いが、身分が中途半端なのが難点である。そのため、引き抜きやすく、シナリオ4では「浪人」であるものの、余裕があれば拾って育てると有用いう程度の人物に収まっている。

 しかし、池田家家中からの下剋上や、信長が摂津の支配を任せた摂津三守護を全滅させて彼らの管轄地を統一したこと、さらに、信長政権下での重用ぶりを見ると、「戦闘」はもちろんのこと、「外交」や「謀略」も高くて当然であるように思える。やはり、謀反後の不可解な行動が、彼の評価を不当なまでに下げている様な気がしてならない。
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●能力値
名前 有馬豊氏 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み ありま・とようじ 能力値
生没年 1569〜1642 軍師
登場年 1585年 上昇 汎用
血族 摂津有馬? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1
S2
S3
S4
S5 堀尾家 与力 掛川城 1.4万石 足軽
S6
●略歴 
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 1569〜1642。摂津有馬氏。則頼の息子。秀吉に仕えたが、その死後は家康に接近する。家康の会津遠征に従い、石田三成挙兵の報を聞くと、先遣隊の一員として岐阜城攻めに従軍した。その後の「杭瀬川の戦い」では、西軍に包囲された中村一栄の救援に赴いている。

 「関ヶ原の戦い」の後、豊氏は遠江国横須賀3万石から丹波国福知山6万石に加増された。その後は「大坂の陣」に従軍、1620年より久留米21万石を領有し、久留米藩の藩祖となった。晩年には「島原の乱」の際、自ら兵を率いて現地に赴いている。
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●ゲーム 
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 本作ではシナリオ5にのみ登場。遠江に領土を持っていた関係から、その一帯を領有する堀尾家の家臣に組み込まれている。ちなみに、父の則頼は四国の生駒家の家臣扱いとなっており、両者にゲーム内で血縁関係が設定されているかどうかは不明である。
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●能力値
名前 有馬則頼 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み ありま・のりより 能力値
生没年 1533〜1602 軍師
登場年 1549年 上昇 汎用
血族 摂津有馬? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 8年後 地侍 姫路城 0.0万石 足軽
S2
S3
S4
S5 生駒家 与力 高松城 0.3万石 足軽
S6 赤松家 地侍 姫路城 0.1万石 足軽
●略歴 
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 1533〜1602。豊氏の父。赤松家の庶流であるが、播磨に侵攻した秀吉に従属し、中国地方や九州の戦いに従軍した。また、伏見城築城にも手腕を発揮している。「唐入り」の際には渡航せず、肥前名護屋城の本陣に待機した。晩年は秀吉の御伽衆となるが、彼の死後は家康に接近し、「関ヶ原の戦い」にも従軍、戦後は摂津有馬2万石を領有した。
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●ゲーム 
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 主な登場シナリオは5と6。シナリオ5当時(1598年)は播磨の淡河に領土を持っているはずであるが、四国の生駒家の家臣として登場する。このあたりの事情は検証不足で良く分からない。ちなみに、息子の豊氏は、彼とは別に知行を得ていたため、遠江の堀尾家の家臣となっている。
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●能力値
名前 有馬晴信 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み ありま・はるのぶ 能力値 ×
生没年 1567〜1612 軍師
登場年 1583年 上昇 汎用
血族 肥前有馬? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 42年後 与力 0.0万石
S2 23年後 与力 0.0万石
S3 11年後 与力 0.0万石
S4 1年後 与力 隈本城 0.0万石 足軽
S5 鍋島家 与力 大村城 1.4万石 足軽
S6 竜造寺家 与力 玖島城 0.5万石 足軽
●略歴 
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 1567〜1612。肥前有馬氏の有馬義貞の次男。ちなみに、肥前有馬氏は、前述の摂津有馬氏とは全く関係がない。兄の急死により、1571年より4歳で有馬家の当主となるが、1576年に義貞は死去、1579年より竜造寺家に服従する。

 その後、晴信はキリスト教に改宗し、南蛮貿易で大きな利益を上げた。また、1582年には大友宗麟らとともに「天正遣欧少年使節団」を派遣している。しかし、その一方では、領内の寺社を破壊した、領内の仏教僧を追放しており、さらには領民を奴隷として国外に売り払ったという噂もある。

 島津家が北上してくると、晴信は島津家に呼応して竜造寺家に反旗を翻した。晴信は、竜造寺隆信が差し向けた竜造寺政家の攻撃を持ちこたえ、隆信自らが押し寄せると、島津家に救援を要請した。1584年の「沖田畷の戦い」において、晴信は名目的な総大将として森丘城に籠り、島津家久らの活躍によって隆信が戦死すると、敗走する竜造寺軍の追撃に参加した。

 秀吉が九州攻略に乗り出すと、晴信は秀吉陣営に鞍替えした。1587年、秀吉は伴天連追放令を出し、キリシタン大名の多くは、これに迎合して棄教したが、晴信は信仰を貫いたため、各地からキリスト教徒が庇護を求めてきた。この地は後に島原藩となり、「島原の乱」を惹き起こすことになるが、単純に、これが反乱の原因というわけでもないようである。

 1592年の「文禄の役」では小西行長の一番隊に属して先鋒を務め、平壌まで侵攻すると、他の諸将とともに平壌の守備にあたった。1597年からの「慶長の役」では左軍に所属し、南原城の攻略に従事している。「豊家の変」の際には九州にいたが、最終的に東軍として所領を安堵された。
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●「ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ事件」と「岡本大八事件」
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 1609年、晴信の朱印船の乗員がマカオで騒動を起こし、マカオ総督ペソアに鎮圧されたため多数の死者が出た。このペソアが来日した際、晴信は長崎奉行長谷川藤広とともに彼の乗船ノサ・セニョーラ・ダ・グラサを襲撃し、ペソアを自害に追いやった。

 この事件の後、晴信は本多正純の与力の岡本大八から、現在鍋島家の領土となっている旧有馬家の領地の返還が行われるという話を聞いた。晴信は大八に資金を提供して積極的な返還運動を行ったが、その資金は大八の懐に収められた。

 1612年、この件が明るみに出たことにより、大八は死罪となったが、晴信もまた「ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ事件」の際に藤広の殺害を口走ったことと、結果として幕閣に賄賂を贈っていたことが問題となり、所領没収の末、甲斐に流刑となった。

 さらに、この年のうちに晴信には切腹が言い渡された。しかし、晴信は最後までキリスト教徒としての信仰を貫き、家臣に首を討たせたという。なお、没収された所領は、息子の直純が家康の養女を妻としていたこともあり、そのまま直純が受け継ぐこととなった。
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●ゲーム 
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 主な登場シナリオは5と6であるが、シナリオ4でも翌年には浪人として登場する。それ以前のシナリオでは父の義貞のもとで元服すると思われるが、未検証である。能力的には身分がそこそこで「外交」が高いため、外交官として他勢力の城に張り付かせておくのに適している。 また、「忠臣属性」が低く、引き抜きやすい人物ではあるが、無理をしてまで必要という人材ではない。

 「外交」の高さは、竜造寺、島津、豊臣、徳川の間をうまく切り抜けた結果であり、「忠臣属性」の低さも、それによるものであると思われる。しかし、その最期を思えば、「謀略」は下げてもよさそうな気がする。
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