戦国夢幻

 

   戦国夢幻 武将 あ  


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●能力値
名前 姉小路頼綱 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あねがこうじ・よりつな 能力値 ×
生没年 1540〜1587 軍師
登場年 1556年 上昇 固有
血族 姉小路 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 15年後 宿老 0.0万石
S2 姉小路家 宿老 松倉城 0.8万石 騎馬
S3 姉小路家 主君 松倉城 2.5万石 騎馬
S4 姉小路家 主君 松倉城 3.0万石 騎馬
S5
S6 姉小路家 主君 松倉城 2.4万石 足軽
●略歴 
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 1540〜1587。良頼の息子。三木顕綱の兄。1559年に父の命で飛騨国司姉小路家の後を継ぎ、姉小路氏を称する。1572年、父の死によって家督を継ぐと織田家と手を組んで親上杉派の豪族と交戦、彼らを滅ぼして領土を拡張する一方、内部では嫡男の信綱を謀反の疑いで処刑している。

 1582年に「本能寺の変」で信長が死に、飛騨における織田家の影響力が弱まると、頼綱は江間輝盛を滅ぼし、弟の顕綱を含めた諸豪族を倒して飛騨統一を成し遂げた。しかし、その後の織田家の騒乱において、柴田勝家、佐々成政らの派閥に属したことから秀吉を敵に回すこととなり、金森長近の攻撃を受けて降伏した。頼綱は京都に移され、1587年に死去した。
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●ゲーム 
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 能力は「内政」以外は全般的に高い。「戦闘」は武力を用いた飛騨の統一、「外交」は強豪に囲まれつつ独立を維持した点、「謀略」は身内の粛清による評価であると思われる。

 「外交」の高さについては、前述の通り、強豪に囲まれつつ独立を維持したという点では高評価につながると思われるが、最終的には味方するべき勢力を誤り、家を滅ぼしているのも事実であり、一概に高く評価することはできない。そのどちらに重点を置くかで評価は大きく異なると思われる。

 彼は「忠臣属性」が「×」であるため、例え「主君」を務めるシナリオでも、勢力滅亡後に消滅することはない。しかも、シナリオ6を除くと姉小路家は滅びやすい勢力であるため、優先的に「ハイエナ作戦」で確保するべき人材であると言える。なお、頼綱の兵種はデフォルトで「騎馬」になっていることが多いが、シナリオ6では「足軽」である点に注意したい。
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●能力値
名前 安倍元真 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あべ・もとざね 能力値
生没年 1513〜1587 軍師
登場年 1529年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 今川家 部将 駿府城 0.5万石 足軽
S2 今川家 重臣 駿府城 1.2万石 足軽
S3 浪人 地侍 駿府城 0.0万石 足軽
S4 徳川家 地侍 駿府城 0.2万石 足軽
S5
S6 今川家 地侍 駿府城 0.1万石 足軽
●略歴 
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 1512〜1587。1568年の武田家による駿河侵攻の際には、岡部正綱とともに駿府城を守った。駿府城陥落後は所領に籠るが、後に徳川家に仕えて遠江国の伯耆塚城の守将となり、その後の武田家との戦いにも従軍している。
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●ゲーム 
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 「戦闘」が高く、シナリオ5以外のすべてのシナリオにおいて、初期状態から登場する。特にシナリオ2では身分も高く、今川家における唯一の戦闘要員として存在感をアピールしているが、それ以外のシナリオでは、身分が低く、即戦力にはならない。
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●能力値
名前 甘粕長重 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまかす・ながしげ 能力値
生没年 1561〜1610 軍師
登場年 1577年 上昇 汎用
血族 備考 上杉四天王 
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 36年後 部将 0.0万石
S2 17年後 部将 0.0万石
S3 5年後 部将 0.0万石
S4 上杉家 部将 栃尾城 1.0万石 足軽
S5 上杉家 部将 二本松城 0.4万石 足軽
S6 上杉家 部将 春日山城 0.4万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1604。越後国桝形城城主。謙信に従い、彼の名(景虎)を拝領して「景持」を名乗る。1560年より謙信の関東出兵に従い、翌年の「第四次川中島の戦い」では、撤収する上杉軍の殿を務めた。謙信の死後は景勝に仕え、1582年からは「新発田の乱」の鎮圧に従事、その際に三条城主となる。その後、上杉家は会津、米沢と転封を重ねたが、長重は最後まで上杉家に従い、米沢で死去した。
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●ゲーム 
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 主な登場シナリオは4以降。ゲームでは「第四次川中島の戦い」が起こった年に産まれているため、上記の人物とは別人である可能性もある。能力的には「内政」と「謀略」に優れているが、身分が微妙であるため、まずは「内政」で功績を稼ぎたい。

 彼の「内政」については、会津時代に検地奉行を務めたことが反映されていると思われる。一方、「謀略」の根拠についてはよく分からない。「第四次川中島の戦い」や「新発田の乱」で活躍したことを考慮すれば、高くあるべきなのは「戦闘」なのではないかと思われる。
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●能力値
名前 尼子勝久 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまご・かつひさ 能力値
生没年 1553〜1617 軍師
登場年 1569年 上昇 汎用
血族 尼子 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 28年後 宿老 0.0万石
S2 9年後 宿老 0.0万石
S3 浪人 与力 二条城 0.0万石 足軽
S4
S5
S6 尼子家 宿老 月山富田城 2.0万石 足軽
●略歴 
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 1553〜1578。尼子誠久の息子。1554年、誠久ら「「新宮党」が晴久に粛清された際、勝久は家臣に救いだされ、後に京都で出家した。尼子家が毛利家に滅ぼさた2年後の1568年、勝久は山中鹿之助らに擁立されて彼らの盟主となり、翌年には尼子残党の支持を受けて出雲の新山城に入城した。

 このころ、毛利元就は北九州で大友宗麟と戦っていたため、勝久らの領土回復は順調に進んだ。しかし、かつて尼子家の本拠地であった月山富田城の攻略がもたつき、戦いが長期化するうちに毛利元就自らの率いる救援軍が到着、「布部山の戦い」に敗れて勢いを失い、敗戦を重ねて京都に潜伏した。

 その後、信長の傘下に入った勝久らは秀吉の中国遠征軍に従い、1577年には、秀吉が攻略した播磨の上月城(宇喜多家領)の守備を任された。しかし、その翌年には、宇喜多・毛利の連合軍に上月城を囲まれたうえ、秀吉は反旗を翻した三木城の攻略に向かったため、上月城は孤立した。

 勝久は、上月城が開城した際に自害した。『陰徳太平記』によると、この時に勝久は、僧侶であった自分を尼子の盟主として盛り立ててくれた鹿之助らに感謝の意を示し、彼らの無事を願ったという。
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●ゲーム 
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 主な登場シナリオは3と6。1と2でも尼子誠久の息子として登場すると思われるが、未検証である。シナリオ3では、一度中国の領土を失い、京都に潜伏している状況が再現されている。身分はそこそこであり、能力的にも穴はないが、逆に彼を登用するべきメリットも低い。彼よりは、身分は低いものの「戦闘」と「謀略」に優れた鹿之助の「登用」を優先するべきである。
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●能力値
名前 尼子国久 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまご・くにひさ 能力値
生没年 1490〜1559 軍師
登場年 1506年 上昇 汎用
血族 尼子 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 尼子家 宿老 月山富田城 3.5万石 足軽
S2
S3
S4
S5
S6 尼子家 宿老 月山富田城 2.0万石 足軽
●略歴 
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 1492〜1554。尼子経久の次男。誠久の父。尼子の精鋭「新宮党」を率いて伯耆、安芸、備後を転戦、尼子家の領土拡張に貢献した。「新宮党」は、事実上出雲東部を領有し、その権勢は家中においても強大なものであったが、それゆえに尼子家の当主晴久との対立を深めることとなった。

 1554年、国久は、月山富田城に登城するところで晴久の刺客によって殺され、新宮党も一掃された。これについては、毛利元就の謀略とする説もあるが、後世の創作のようである。
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●ゲーム 
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 登場シナリオは1と6。当然のように「戦闘」は高く、「内政」や「外交」も低くはない。「謀略」が低いのは、晴久に謀殺されたことの表れであると思われる。常に身分が「宿老」であることも合わさり、尼子家では、文武における活躍を期待できる。

 ただし、逆に言えば、成長要素は全くなく、使いでがないとも言える。彼や誠久などの「戦闘」の高い一族を積極的に戦闘に投入するか、他の武将に「勲功」を稼がせるため、彼らは城内に留め置き、緊急事態にだけ投入するかは、人それぞれである。
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●能力値
名前 尼子倫久 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまご・ともひさ 能力値
生没年 1544〜1623 軍師
登場年 1560年 上昇 汎用
血族 尼子 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1
S2 尼子家 宿老 月山富田城 2.3万石 足軽
S3
S4
S5
S6
●略歴 
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1546〜1623。尼子晴久の三男。義久の弟。各地で毛利軍と戦うが追い詰められ、兄と共に月山富田城に籠城した。倫久は最後まで自分の部署を守り抜いたが、義久が降伏すると彼に従った。その後、倫久は義久らと共に幽閉されたが、後に許されて毛利家の客将となった。
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●ゲーム 
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 登場シナリオは2のみ。身分と「戦闘」が高く、即戦力になる。しかし、上述の尼子国久と同じく、これ以上の昇進が見込めず、使いではない。このシナリオの尼子家は、そこそこの身分と高い「戦闘」を持つ武将が多いため、彼らを積極的に運用した方が良いと思われる。
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●能力値
名前 尼子晴久 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまご・はるひさ 能力値
生没年 1514〜1560 軍師
登場年 1530年 上昇 固有
血族 尼子 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 尼子家 主君 月山富田城 6.0万石 足軽
S2
S3
S4
S5
S6 尼子家 主君 月山富田城 4.0万石 足軽
●略歴 
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 1514〜1560。尼子政久の息子、義久倫久の父。政久は晴久が幼い頃に戦死したため、晴久は経久より尼子家の次期当主と目された。晴久は若年から備後、美作、備前などを転戦、1537年より経久の後見を受けて尼子家の当主となった。

 その後、晴久は、西部において石見銀山を巡って大内家と争い、東部では因幡を経て播磨にまで勢力を拡大するが、大内家は抗争中の大友家と講和し、安芸に侵攻した。1540年、晴久は大内側に寝返った毛利元就の居城である吉田郡山城を包囲したが、大内軍の陶晴賢の助力を得た毛利軍に敗れた。

 その翌年の1541年、経久の死去により、晴久は名実ともに尼子家の当主となり、当時の将軍義晴から一字を譲り受けて勢力の立て直しをはかった。翌年には中国西部の国人衆を味方に付けた大内軍の攻撃を受けるが、晴久は居城の月山富田城に籠城して攻撃を退け、その後は再び各地を転戦して領土を広げた。

 1552年、晴久は将軍義輝より出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備前、備中、備後8ヶ国の守護に任じられ、さらに後には従五位下の位階と修理大夫の官位を賜った。1554年、晴久は叔父の国久を討ち、彼の一党である「新宮党」を一掃した。これは、晴久の意思による中央集権化の一環というのが真相のようであるが、後世では、元就の謀略に釣られたものと見なされた。

 1557年、中国西部では毛利家が大内家を破り、その勢力を併合した。そのため、毛利家の矛先は尼子家に向けられた。晴久は、その対応に追われ、各地で毛利軍や、その友軍と交戦したが、1561年に急死した。
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●ゲーム 
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 登場シナリオは1と6。いずれも「主君」として登場する。能力的には「戦闘」と「内政」が高く、「外交」と「謀略」は低い。つまりは、使いどころがはっきりした武将と言える。

 このうち、「戦闘」の高さは、各地を転戦し、相応の戦果を上げていることから、妥当なところであると思われる。また、「内政」の高さは、西出雲の交易ルートを利用し、出雲と伯耆の鉄や石見の銀などから利益を生み出したことが考慮されていると推測できる。

 一方、「謀略」の低さについては、毛利の謀略によって「新宮党」を粛清したと見なされたのが原因であると思われるが、「外交」の低さについてはよく分からない。あえて挙げるならば、吉田郡山城の敗戦以後、それまで尼子側であった国人衆が大内側に寝返ったことなどが影響していると考えられる。
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●能力値
名前 尼子誠久 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまご・まさひさ 能力値
生没年 1526〜1554 軍師
登場年 1542年 上昇 汎用
血族 尼子 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 1年後 家老 0.0万石
S2
S3
S4
S5
S6 尼子家 宿老 月山富田城 2.0万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1554。国久の息子、勝久の父。武勇に優れていたと言うが、性格は傲慢でたびたび問題を起こした。1554年11月25日、晴久は登城中の国久を暗殺し、そのまま新宮党の拠点を襲撃した。誠久らは晴久軍を迎え撃ち、大きな損害を与えたものの、最後には戦いの中で死亡し、新宮党は壊滅した。
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●ゲーム 
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 本作ではシナリオ1とシナリオ6に登場する。シナリオ1では翌年に国久のもとで元服する。寿命が史実で死亡した年であり、活躍期間は短いが、元服から10年以上は活躍することができるため、あまり問題にはならないはずである。

 能力的には「戦闘」が高いが、「内政」や「外交」も悪くはない。身分の高さもあり、平時には、「内政」や「登用」にも活用することができる。「謀略」の致命的な低さは、主家に撃ち滅ぼされたことが影響していると思われる。
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●能力値
名前 尼子義久 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまご・よしひさ 能力値
生没年 1538〜1610 軍師
登場年 1554年 上昇 汎用
血族 尼子 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 13年後 0.0万石
S2 尼子家 主君 月山富田城 3.2万石 足軽
S3
S4
S5
S6 尼子家 宿老 月山富田城 2.0万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1610。尼子晴久の長男。倫久の兄。1561年の父の急死に伴い、尼子家の当主となる。毛利元就の石見侵攻に対して「雲芸和議」を結び、両勢力の石見に対する不干渉を約束するが、石見の国人たちは尼子の後ろ盾を失い、元就の謀略によって切り崩されていった。

 間もなく元就は和議を破棄し、石見に侵攻するが、義久は大友宗麟と同盟を結び、毛利軍の戦力を分散させることに成功する。しかし、間もなく両家は講和し、毛利軍の尼子領への侵攻が再開された。1563年、水運の要所である白鹿城が毛利の手に落ち、翌年には伯耆の江美城が陥落したことにより、月山富田城は美作との連絡を絶たれ、完全に孤立した。

 1565年4月、毛利軍は月山富田城に攻撃を仕掛けたが、籠城する尼子軍は毛利軍を退けた。しかし、9月からの再攻撃では兵糧攻めが行われ、翌年になると、家臣の讒言を信じた義久は、宇山久兼を誅殺した。1566年11月、義久は毛利軍に降伏した。

 義久は、生命こそ保証されたものの、長い幽閉生活を送った。その間、尼子勝久らの蜂起などがあったが、義久に対する処遇は変わらなかったようである。1589年には毛利の客分として毛利家に仕え、その後は剃髪して余生を過ごした。その血脈は毛利家臣として受け継がれ、尼子家は大名として滅亡したものの、血筋自体は存続することができた。
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●ゲーム 
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 『信長の野望』シリーズでは無能の代名詞であり、「ああ、経久の威光、いまいずこ」などと嘆かれる始末であるが、本作では「外交」が致命的に低い点を除けば、後の能力は平均的である。

 「外交」の低さは「雲芸和議」の失敗によるものであると思われるが、これはどちらかと言えば「謀略」に関係したものであると感じられる。大友家と同盟を結び、一時的とはいえ、毛利軍の勢いを削いだこともあり、「外交」と「謀略」は逆にした方が良かったのではないかと思われる。

 なお、シナリオ2では主君であるが、このシナリオの尼子家には「戦闘」に優れた武将が多いため、義久の知行は彼らに割り振った方が良いと思われる。
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●能力値
名前 天野景貫 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あまの・かげつら 能力値
生没年 1539〜1603 軍師
登場年 1554年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 14年後 組頭 0.0万石 足軽
S2 今川家 部将 駿府城 0.5万石 足軽
S3 武田家 部将 長篠城 1.0万石 足軽
S4 北条家 部将 小田原城 0.2万石 足軽
S5 浪人 組頭 小田原城 0.0万石 足軽
S6 今川家 組頭 駿府城 0.3万石 足軽
●略歴 
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 生没年不詳。遠江天野氏の傍流。今川家に臣従し、1547年には今川家の三河攻略で戦功を上げた。その後、今川家が衰退すると、本家の景奏は反旗を翻したが、景貫は今川家に留まった。景奏の失脚後、景貫は遠江天野氏の惣領職を引き継ぎ、彼が所有していた犬居城主となった。

 しかし、後に景貫も徳川家に従い、さらには武田家に移って徳川家領の長篠城を攻撃している。武田家が衰退すると、景貫は徳川軍の反撃を受け、犬居城を追われた。その後は北条家に仕え、佐竹家との戦いで活躍したという。
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●ゲーム 
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 主な登場シナリオは2以降。『信長の野望』シリーズでは「今川配下だが、じゃまなだけ」、「能力は二流だが世渡りのうまさは一流だ」などと言われているが、本作では「戦闘」と「外交」は人並みである。よって、「強兵」城あたりで内政を行わせつつ、流れてきた浪人を「登用」する程度には活用できる。
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