戦国夢幻

 

   戦国夢幻 武将 あ  


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●能力値
名前 浅見景親 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさみ・かげちか 能力値
生没年 1536〜1600 軍師
登場年 1552年 上昇 汎用
血族 浅見? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1
S2 浅井家 地侍 小谷城 0.1万石 足軽
S3 浅井家 地侍 小谷城 0.1万石 足軽
S4 柴田家 地侍 北ノ庄城 0.1万石 足軽
S5
S6
●略歴 
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 生没年不詳。浅見対馬守の息子。
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●ゲーム 
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 おそらく浅見対馬守とは血縁関係にあると思われるが、未検証である。いずれのシナリオでも身分は低いが、能力は平均的であり、「治水」で身分を上げた後は様々な補助任務に使うことができると思われる。
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●能力値
名前 浅見対馬守 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさみ・つしまのかみ 能力値
生没年 1516〜1580 軍師
登場年 1532年 上昇 汎用
血族 浅見? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 浅井家 部将 小谷城 0.3万石 足軽
S2 浅井家 部将 小谷城 0.3万石 足軽
S3 浅井家 部将 小谷城 0.4万石 足軽
S4
S5
S6 浅井家 部将 小谷城 0.4万石 足軽
●略歴 
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 生没年不詳。実名は「孝成」。近江国東浅井郡尾上城城主。景親の父。1570年の「姉川の戦い」では、浅井軍として従軍した。1573年8月、織田軍が浅井家の小谷城を包囲した際には、大獄山の砦の第三郭である焼尾郭に布陣していたが、織田家に内通して大獄山陥落のきっかけを作った。
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●ゲーム 
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 浅井家家臣として見た場合は、すでに「部将」であるため、「治水」による身分の上昇は見込めない。小谷城は「強兵」属性を持つ城であるため、とりあえず開墾を任せ、浪人が流れてきたら、「外交」が「C」であることを活かし、「登用」を行わせると、無駄が少ないと思われる。
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●能力値
名前 朝山日乗 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさやま・にちじょう 能力値
生没年 1513〜1577 軍師
登場年 1529年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 浪人 地侍 二条城 0.0万石 足軽
S2 浪人 地侍 二条城 0.0万石 足軽
S3 浪人 地侍 二条城 0.0万石 足軽
S4
S5
S6 浪人 地侍 二条城 0.0万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1577。法華宗の僧侶。「日乗」は法名で本名は「善茂」。出雲の名族の出身であったが、上京して朝廷とのつながりを得た。1568年より上洛した信長に接近し、彼の信頼を得て朝廷とのパイプ役を果たした。

 日乗はキリスト教の排斥を訴え続けており、1569年4月にルイス・フロイスとロレンゾが信長のもとを訪れると、論争のために彼らの教えを求めた。そのためか、ロレンゾの説話を聞くと日乗は激怒して抜刀におよび、周囲に止められただけでなく、信長からも叱責された。

 フロイスは、これによって日乗が信長の信頼を失ったと記しているが、日乗は、同年5月より村井貞勝とともに御所修繕の奉行を務めており、単純に、これを境として信長との関係が悪化したというわけではないようである。

 1573年、信長と敵対した足利義昭は信長に敗れ、京都を追われて堺に移った。日乗は秀吉とともに義昭と対面し、帰京をうながしたが、義昭は応じず、交渉は決裂した。このころから、日乗は歴史の表舞台から姿を消している。
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●ゲーム 
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 「外交」が高く、いずれのシナリオでも二条城で浪人をしている。外交関連の救済キャラクターと言えるが、「内政」も身分も低いため、まともに用いるのであれば、多人数での「治水」などに紛れ込ませて身分を上げる必要がある。ただし、「徴兵」要員として割り切れば、身分の低さは無視できる。
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●能力値
名前 浅利勝頼 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさり・かつより 能力値
生没年 1548〜1612 軍師
登場年 1564年 上昇 汎用
血族 浅利? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 23年後 重臣 0.0万石
S2 4年後 重臣 0.0万石
S3 安東家 部将 檜山城 0.4万石 足軽
S4 安東家 重臣 檜山城 0.6万石 足軽
S5
S6 秋田家 重臣 檜山城 0.6万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1582。則祐の弟。安東愛季と内通して兄を死に追いやり、1562年に十狐城の城主となったが、後に津軽為信に内通したことが発覚し、1582年に愛季によって殺された。
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●ゲーム 
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 能力は低いが、シナリオ4と6では身分の高さで能力をカバーできる(もっとも、もともとの能力の低さから、足を引っ張りがちになるが)。東北北部は武将も知行も少なく、彼のような武将でも活用せざるを得ない状況にある。
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●能力値
名前 浅利信種 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさり・のぶたね 能力値
生没年 1524〜1588 軍師
登場年 1540年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 武田家 組頭 躑躅ヶ崎館 0.1万石 騎馬
S2 武田家 重臣 小諸城 2.0万石 騎馬
S3 武田家 重臣 小諸城 2.0万石 騎馬
S4
S5
S6 武田家 組頭 新府城 1.0万石 騎馬
●略歴 
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 ?〜1569。甲斐国八代郡浅利郷領主。武田家の信濃侵攻で活躍、武田家の領土が上野に及ぶと、箕輪城城代となる。「三国同盟」決裂後の北条家との戦いでは西上野衆を率いて戦い、1569年の「三増峠の戦い」では左翼を担ったが、北条軍の北条綱成の鉄砲隊に射殺された。
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●ゲーム 

 「戦闘」だけが突出しており、戦闘要員以外の働きは期待できない。シナリオ2と3では初めから身分が高く、即戦力として働ける。シナリオ1と6では身分が低いため、多人数での「治水」などに紛れ込ませて身分を上げたい。ちなみに、「忠臣属性」が「◎」であるため、武田家以外の勢力で彼を使うには、戦闘中に捕縛するしかない。
 

●能力値
名前 浅利則祐 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさり・のりすけ 能力値
生没年 1522〜1586 軍師
登場年 1538年 上昇 汎用
血族 浅利? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 安東家 重臣 檜山城 0.4万石 足軽
S2 安東家 重臣 檜山城 0.7万石 足軽
S3 安東家 重臣 檜山城 0.8万石 足軽
S4 安東家 家老 檜山城 1.9万石 足軽
S5
S6 秋田家 重臣 秋田城 0.6万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1562。勝頼の兄。父の死後浅利家の当主となるが、則祐は側室の子、勝頼は正妻の子であったことから、勝頼に当主の座を脅かされた。1562年に勝頼の手引きを受けた安東愛季に殺され、浅利家当主の地位も勝頼に奪われた。
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●ゲーム 
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 史実を考慮するならば、シナリオ3以降は登場しないはずであるが、シナリオ5以外の全てのシナリオにおいてゲームスタート時から登場している。浅利勝頼とは一門衆の関係にあると思われるが、未検証である。能力的には「内政」が人並みであり、身分も高いため、勝頼よりは使いでがある。
 

●能力値
名前 足利晴氏 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あしかが・はるうじ 能力値
生没年 1508〜1560 軍師
登場年 1524年 上昇 汎用
血族 古河公方 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 結城家 宿老 結城城 2.0万石 足軽
S2
S3
S4
S5
S6 結城家 与力 結城城 0,3万石 足軽
●略歴 
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 1508〜1560。藤氏義氏の父。晴氏の時代、古河公方は分家である小弓公方の義明と対立していた。晴氏は北条家と同盟を結び、1538年には「第一次国府台の戦い」で義明を滅ぼし、後に北条氏綱の娘を娶った。

 その後、晴氏は山内、扇谷の両上杉家と結び、1546年には北条家が扇谷上杉家から奪った河越城に侵攻した。河越城の包囲は数カ月に及んだが、4月20日の「河越野戦」で大敗を喫し、北条家への服従を余儀なくされた。

 1552年、晴氏は古河公方の地位を息子の義氏に譲って隠居したが、1554年には古河城を北条軍に攻められ、以後は幽閉生活を送った。その後、一度は古河城への帰還も許されたようであるが、藤氏の蜂起によって取りやめとされている。
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●ゲーム 
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 登場シナリオは1と6。いずれも地勢的事情のためか結城家の家臣として登場する。能力面では国政関連が人並みであり、特にシナリオ1では身分が高いことから、「内政」や「外交」を活かせる仕事ならば、そこそこ役に立つはずである。

 晴氏は藤氏義氏の父にあたり、彼が生存している場合、藤氏は1550年、義氏は1557年に登場するものと思われる(藤氏は検証済み)。しかし、いずれも能力は低いため、登場してもお荷物になりかねない。
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●能力値
名前 足利藤氏 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あしかが・ふじうじ 能力値
生没年 1534〜1566 軍師
登場年 1550年 上昇 汎用
血族 古河公方 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 9年後 家老 0.0万石
S2
S3
S4
S5
S6
●略歴 
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 生没年不詳。足利晴氏の息子。義氏の兄。晴氏は「河越野戦」で北条氏康に敗れて隠居させられ、新たな古河公方には義氏が据えられた。1557年、藤氏は義氏の籠る古河御所を襲撃したが失敗し、里見義堯の庇護を求めた。

 1561年の上杉謙信による関東出兵の名目の1つとして、古河公方の復権があった。これは藤氏の母方の従兄にあたる簗田晴助の働きかけがあったという。謙信は義氏を追い、藤氏は謙信に擁立されて古河公方となったが、現在では彼の正当性は認められていないようである。

 謙信が関東から引き上げると、藤氏は北条軍に古河御所を追われた。さらに1562年には北条軍に捕えられ、まもなく消息を絶った。なお、1569年に謙信は氏康と「越相同盟」を締結し、義氏の正当性を認めている。
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●ゲーム 
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 登場シナリオはシナリオ1だけであるうえ、ゲーム開始後10年近くしないと登場しない。能力的にも「外交」以外は最低であり、見るべきところはない。なお、足利晴氏とは一門衆の関係にあり、彼が生きていれば、その元で元服する。
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●能力値
名前 足利義昭 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あしかが・よしあき 能力値
生没年 1537〜1597 軍師
登場年 1553年 上昇 固有
血族 将軍家 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 12年後 宿老 0.0万石
S2 将軍家 宿老 二条城 3.0万石 足軽
S3 将軍家 主君 多聞山城 14万石 足軽
S4 毛利家 与力 三原城 0.7万石 足軽
S5
S6 足利家 主君 二条城 6.1万石 足軽
●略歴 
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 1537〜1597。義晴の息子。義輝の弟。幼くして仏門に入ったが、1565年5月の「永禄の変」で兄が殺されると、義昭もまた松永久秀、三好三人衆らに捕えられ、興福寺で幽閉生活を送ることになった。

 2ヶ月後、細川幽斎、和田惟政、三渕藤英らの幕臣に救い出された義昭は、近江の惟政の屋敷に匿われ、ここで足利将軍家当主となることを宣言した。さらに11月21日より義昭は近江の矢島に移ると、1566年中に還俗して「義秋」を名乗り、従五位下左馬頭に叙任された。

 しかし、矢島領主の主君にあたる六角義賢が三好三人衆と内通しているという情報を得たことから、義昭らは北上して若狭武田家の庇護を求めた。当時の若狭武田家の当主である義統は義昭の義弟にあたったが、若狭武田家は内乱によって疲弊しており、援助を求めることはできなかった。

 義昭はさらに北に向かい、越前の朝倉義景を頼った。義景は一族の景鏡に義昭を出迎えさせたため、義昭は景鏡を正五位下の式部大輔に叙任した。1568年4月、義昭は義景を加冠役として元服式を行い、名を「義昭」と改めた。彼が「義昭」と名乗るのは、正式にはここからである。

 義昭は義景に上洛を要請したが、義景は越前を動こうとはせず、むしろ美濃の信長が密使を通じて積極的な支援を約束してきた。6月25日に息子の阿君丸が死去すると、義景は、ますます無気力となったため、義昭は美濃に移ることにした。この間の交渉は、明智光秀が担当したと言われている。
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●征夷大将軍
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 義昭を迎え入れた信長は9月より上洛を開始、行く手を阻む六角義賢を排除し、その月のうちに京都に入った。そして10月18日に義昭は室町幕府の第15代目の征夷大将軍に就任した。また、この時に義昭は従四位下に昇進、参議、左近衛権中将を叙任されている。10月26日、信長はいったん美濃に戻ったが、義昭の信長に対する感謝の念も強く、彼を「」とまで呼んだ。

 義昭は幕府を開き、全国の諸大名と書簡を通じて積極的に交流を深めた。しかし、1569年1月5日、義昭の周囲が手薄になった隙をついて、三好三人衆らは義昭が宿舎としていた本圀寺を襲撃した。この襲撃は駆け付けた信長軍によって退けられたが、この一件以降、信長は二条城を築いて義昭の本拠地とした。

 「本圀寺の変」直後の1月14日、義昭は信長から「殿中御掟」9条を課され、その行動を制限された。「天下布武」を宣言した信長としては、義昭の独自の行動は容認しがたかったようである。「殿中御掟」は2日後に7条、1570年1月23日に5条が追加されたが、その大本は、義昭の決定には必ず信長を介する必要があるというものであった。

 さらに、1570年4月よりはじまった信長の越前侵攻は、浅井家の裏切り、「姉川の戦い」を経て三好三人衆、本願寺などを巻き込んだ畿内の大乱に発展した。12月、信長は浅井長政朝倉義景の連合軍を比叡山に追い詰めたが、比叡山は彼らの引き渡しを拒み、戦線は膠着した。義昭は両勢力を仲介し、正親町天皇の叡旨を得て両者を講和させた。
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●信長包囲網とその崩壊
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 1571年より義昭は武田、本願寺、毛利などとも連絡を取り、信長に対する包囲網を形成した。この時点での義昭と信長の関係は、まだ決定的な決裂を見せていなかったが、信長も義昭の動き自体は承知しており、1572年10月には「十七条の意見書」を提出して義昭を弾劾した。これによって2人の対立は決定的なものとなり、翌年2月になると、義昭は近江で信長に対して挙兵した。

 この一件を美濃の信長に知らせたのは、義昭を見限った幽斎であった。攻勢に出た信長に対し、義昭は仇敵の久秀や三好義継らと結び、4月には一度信長と講和したが、本願寺、毛利らの後援を得られると再び挙兵した。

 これに対する信長の対応は早く、7月3日より攻勢に出ると、10日には義昭方の三渕藤英が守る二条城を攻略、16日には義昭の籠る槇島城の攻撃に取り掛かった。18日より信長の総攻撃がはじまると、義昭は降伏し、息子の義尋を人質として差し出した。義昭は信長によって京から追放され、三好義継の若江城を経て堺に移った。
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●その後の義昭
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 義昭は、羽柴秀吉や朝山日乗から帰京の説得を受けたが、応じずに紀伊、備後を転々とした後、備後に鞆幕府を開いた。この時点においても義昭は征夷大将軍であり、幕府を開く権限を失っていなかったためである。義昭は再び諸国の大名に上洛の支援を要請したが、これに承諾する者はいても実際に彼を迎える者はなかった。

 後に義昭は津之郷に移り、九州に進撃中の秀吉と対面した。九州の島津義久に対しては、秀吉に下るように書簡を送ったらしい。秀吉が九州を征服すると、義昭は京都に戻り、征夷大将軍を辞して出家した。

 これが1588年のことであり、この時をもって、名実ともに室町幕府は消滅した。その後、義昭は秀吉から1万石を与えられ、「文禄の役」では肥前の本陣に集っている。晩年は秀吉の御伽衆となり、1597年に死去した。
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●ゲーム 
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 史実では「貧乏公方」、『信長の野望』シリーズでは、「恐怖の文通将軍」、「ペンパルコレクター」などと呼ばれる。本作の能力的には信長包囲網の構築が高く評価されたためか、「外交」は「S」という大盤振る舞いであるが、「外交」以外は全く役に立たない。

 シナリオ2では、仏門の身ながらも、兄を助けて東奔西走することになり、シナリオ3とシナリオ6では主君を務める。シナリオ4では、毛利家の家臣になっているのも、渋い設定である。

 特にシナリオ3では、多聞山城を拠点に松永久秀らを従えるという面白いシチュエーションとなっている(史実ではない)。このシナリオでは割と高い確率で織田家に滅ぼされるが、プレイヤーとして選択した場合は、やってやれないこともない

 「主君」としての義昭は、戦闘にはまったく向かないため、彼の知行は全て戦闘要員に割り振ってしまった方が良い。彼の「外交」の高さを考えるならば、「ハイエナ作戦」で将軍自らが使える主を失った浪人のもとに赴き、自らの知行を割いて彼を召し抱えるという麗しいシチュエーションを展開することになる。

 なお、将軍家でゲームをクリアした場合、エンディングで「幕府を開く」となるところが「足利幕府の威信を回復させた」となる(シナリオ3の将軍家、同盟統一で確認)。意外と芸が細かい。
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●能力値
名前 足利義氏 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あしかが・よしうじ 能力値
生没年 1541〜1583 軍師
登場年 1557年 上昇 汎用
血族 古河公方 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 16年後 重臣 0.0万石
S2 北条家 重臣 小田原城 0.3万石 足軽
S3 北条家 与力 小田原城 0.4万石 足軽
S4 北条家 与力 小田原城 0.4万石 足軽
S5
S6
●略歴 
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 1541〜1583。晴氏の次男。藤氏の異母弟。父が北条家の圧力によって隠居すると、母が北条氏康の姉妹であったことから古河公方となった。しかし、実際には北条家の傀儡も同然であり、北条家の都合に従って居城を転々とした。1582年、義氏は、北条氏照を後見人として古河に戻るが、その翌年に死去した。なお、義氏には男児が産まれなかったため、古河公方は義氏の代で断絶した。
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●ゲーム 
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 個人的には、『信長の野望 覇王伝事典』の「最後の古河公方とかいう人。いつも浪人をしている」という投げやりな解説で印象残る人物。本作では、全武将中、最低の能力を持つ武将として設定されている。

 シナリオ4では寿命が近いが、死亡しても惜しくはないと思われる。しかし、彼1人だけに内政を任せるのであれば、わずかではあるが期間の短縮が見込める。特に1人だけで開墾などをさせるのであれば、少なくとも邪魔にはならない。要は使い方次第ということである。
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