戦国夢幻

 

   戦国夢幻 武将 あ  


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●能力値
名前 浅井久政 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あざい・ひさまさ 能力値
生没年 1523〜1573 軍師
登場年 1539年 上昇 汎用
血族 浅井 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 浅井家 主君 小谷城 5.3万石 足軽
S2 浅井家 主君 小谷城 5.3万石 足軽
S3 浅井家 宿老 小谷城 5.0万石 足軽
S4
S5
S6 浅井家 宿老 小谷城 4.2万石 足軽
●略歴 
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 1526〜1573。父の亮政は、京極家の家臣から独立し、京極家と六角家を相手に渡りあっている最中に死んだ。後を継いだ久政には、この状況を自力で打開できる力はなく、六角家に服従して京極家と講和した。その後、久政は国内の治水や芸能の保護などに努めたが、そうした姿勢は家臣たちには惰弱と映ったらしい。彼らは久政の息子の長政に期待をかけるようになった。

 1559年に長政が元服すると、久政は六角家の重臣である平井定武の娘を娶らせた。さらに定武のもとで親子の盃を受けるように命じたが、長政は怒り、妻を離縁したため、親子の対立は決定的なものとなった。その年の冬に久政は家臣に隠居を強要され、長政が家督を継いだ。

 その後10年近くの久政の動向は不明であるが、長政主導の織田家との婚姻同盟には反対したらしい。1570年4月に信長が朝倉家を攻撃すると、久政は朝倉家の恩義により、織田家との断絶を主張した。この後、再び久政の名は見られなくなるが、長政は信長を裏切り、信長包囲網の一翼を担って信長との戦いを続け、次第に追い詰められていく。

 1573年8月27日、浅井家の居城である小谷城が信長の総攻撃を受けた際、久政は城内北部の小丸を守っていたが、中央の京極丸が陥落したため、長政のいる城内南部との連絡を絶たれた。翌日、小丸は秀吉隊の攻撃を受け、久政は近習に時間を稼がせている間に自害した。
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●ゲーム 
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 能力的には平凡未満と言えるが、思ったよりも「戦闘」は低くない。業績を見る限り、個人的には「戦闘」を下げて「内政」を上げるべきなのではないかと思われる。また、六角家への従属も見ようによっては「外交」の加算点になりうるが、織田家との手切れを主張し、浅井家滅亡の原因を作ったことを考慮すれば、低い方が納得できるというものである。

 シナリオ1と2では「主君」であるが、特にシナリオ1では勢力が滅びやすい傾向にある。プレイヤー勢力の場合、久政自身の知行は、「戦闘」と身分の高い海北綱親や磯野員昌に割り振った方が良いと思われる。また、シナリオ2では翌年に長政が元服するため、彼に知行を譲った方が得策である。
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●能力値
名前 朝倉景鏡 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・かげあきら 能力値
生没年 1517〜1581 軍師
登場年 1533年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.8万石 足軽
S2 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.0万石 足軽
S3 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.2万石 足軽
S4
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1574。景高の息子で義景の従兄弟にあたる。越前国土橋城城主。1564年には加賀に侵攻し、一向一揆との戦いを指揮した。この時、景鏡と従兄弟の景(かげみつ)が争い、敗れた景が自害した。これにより、景の父である景紀は激昂し、所領に籠ったという。

 1566年、足利義昭が越前に落ち延びて来ると、景鏡は義景の名代として義昭を迎え、式部大輔に任官された。この時、景鏡と景紀は序列を争い、最後にはお互いに顔を合わせなくなったという。また、このころに景鏡は大野郡司となり、大野郡一帯を管理している。

 1570年4月、信長が金ヶ崎城を包囲すると、景鏡は一軍を率いて援軍に駆け付けたが、本隊の義景隊がその途上で引き返したこともあり、救援を取りやめた。これについては、金ヶ崎城の守将が、景紀の息子の景恒であったことを無関係ではないように思われる。

 その結果、金ヶ崎城は陥落したが、浅井長政の裏切りによって信長は越前から撤退した。景鏡は2万の兵で追撃を行ったが、秀吉らの奮闘によって追撃は阻まれ、信長は逃げ延びた。

 5月、景鏡は長政からの要請で3千の兵を率いて彼に合流し、ともに美濃に侵攻した。しかし、すでに信長は美濃に戻っており、景鏡らは美濃の不破郡で焼き討ちを行ったが、信長は動じなかった。
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●信長との戦いと朝倉家滅亡
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 1572年5月、信長が小谷城を包囲すると、景鏡は5千の兵を率いて救援に向かったが、劣勢であったためか、後に義景の本隊1万5千と合流している。この朝倉軍は信長と対峙したものの、12月に信長が西進する信玄に対応するため、美濃に引き返すと撤収してしまった。

 1573年7月、義景長政救援のために動員をかけたが、景鏡は魚住景固らとともに参陣を拒否した。8月、景鏡は信長との戦いに敗れた義景を自領の大野郡に招き、宿舎として賢松寺を提供したが、20日には賢松寺を包囲して義景に自害を強いた。24日、景鏡は信長のもとに赴き、義景の首を差し出して所領を安堵された。

 景鏡は氏を「土橋」に改め、信長からも一字を拝領して「土橋信鏡」と改名して信長に仕えた。1574年1月、景鏡と同じく朝倉家から織田家に鞍替えした富田長繁は、処遇に対する不満から一揆を扇動したが、制御しきれずに加賀の一向宗の越前侵攻を招いた。4月、七里頼周率いる一揆軍は大野郡に侵攻、この戦いの中で景鏡は戦死した。
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●ゲーム 
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 能力的には「外交」が高く、立場的には朝倉家の外交官といったところである。この評価は、義昭を出迎えたことに由来すると思われる。また、信長に降伏して本領を安堵されたことも加算点になるという印象を受けるが、義景を殺したことまで含めて考えれば、これは「謀略」の領域であると言える。

 『信長の野望』では、「三国志でいうと、曹豹のようなつまらぬ奴である」などと言われてしまっているが、本作の景鏡の「忠臣属性」は「○」と高く、朝倉家に仕えている間はゲームシステム上「内応」にも応じない。そのうえ、一門衆として身分も高く、能力的にも「外交」に秀でているだけでなく、他の能力も低くはないことから、有用な部類に入ると言える。

 個人的には、 最前線で幾度も信長と戦い、そのたびに義景の戦略眼のなさに振り回されてきたことを考えれば、彼の裏切りにも一理はあるように思われる。また、朝倉家と織田家だけにとどまらず、織田家と一向宗との間を往来して信長に殺された同族の景健、職務を放棄して逃走した景綱よりは、人としてましなのではないかとさえ感じられる。
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●能力値
名前 朝倉景氏 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・かげうじ 能力値
生没年 1532〜1596 軍師
登場年 1548年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 7年後 宿老 0.0万石
S2 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.0万石 足軽
S3 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.2万石 足軽
S4 浪人 宿老 一乗谷城 0.0万石 足軽
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1573。1570年6月29日の「姉川の戦い」に従軍しているため、朝倉景健の指揮下に入り、浅井家の救援に向かったものと思われる。また、『信長公記』によると、1573年8月13日の「刀禰坂の戦い」で戦死した朝倉軍の武将の1人として名前が挙げられている。
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●ゲーム 
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 能力は平均的であるが、身分が高いことから「内政」や「登用」では、そこそこに役立つと思われる。シナリオ6ならば、大筒隊を任せるのも面白い。また、なぜか1582年のシナリオ4にも浪人として登場しているが、彼に5万石を与えるのであれば、より優秀な浪人を「登用」するか、優秀な家臣に分配した方が良い。
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●能力値
名前 朝倉景隆 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・かげたか 能力値
生没年 1487〜1566 軍師
登場年 1503年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.8万石 足軽
S2
S3
S4
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 生没年不詳。景健の父。1555年の加賀侵攻の際には朝倉宗滴の指揮下にあったと思われるが、宗滴が病によって陣没すると、代わって指揮を執った。1564年の加賀侵攻の際にも指揮官の1人として名を連ねるが、いずれも遠征は失敗に終わっている。
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●ゲーム 
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 登場シナリオは1と6。能力的に見るべきところはないが、身分の高さを生かし、「内政」や「登用」に活用できる。また、シナリオ6では大筒隊を任せても良い。
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●能力値
名前 朝倉景健 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・かげたけ 能力値
生没年 1529〜1575 軍師
登場年 1545年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 未登場 宿老 0.0万石
S2 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.0万石 足軽
S3 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.2万石 足軽
S4
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1575。景隆の息子。越前国安居(あご)城城主。1570年6月29日の「姉川の戦い」では、朝倉軍1万の総指揮官として浅井長政とともに織田・徳川連合軍と交戦、朝倉軍は徳川軍と衝突したが、徳川軍の榊原康政に側面を突かれて敗走した。

 9月になると、景健は義景自らの出陣に従い、「坂本の戦い」では、宇佐山城を守る織田軍の森可成らを戦死させた。しかし、この行軍は信長によって比叡山へと押し込まれることになり、12月には講和によって朝倉軍も本国に撤退した。

 1573年7月、浅井家の小谷城が織田軍に包囲されると、義景は自ら2万の兵を率いて救援に向かったが、形勢の不利を悟ると戦わずに撤退、刀禰坂で織田軍に追いつかれ、大きな被害を出した。しかし、景健の奮戦により、義景は一乗谷城に逃げ延びることができたという。
 
 その後、義景が同族の景鏡に殺され、朝倉家が滅亡すると、景健も信長に降伏して所領を安堵され、「安居景健」と名を改めて信長に仕えた。1574年1月、加賀の一向宗が越前に侵攻すると、安居城は越前に近いこともあり、景健は一揆軍に降伏したが、1575年9月までに信長は加賀を攻略し、一向一揆を殲滅した。景健は再び信長に臣従を申し出たが、今度は許されず、自害することとなった。
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●ゲーム 
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 「坂本の戦い」や「刀禰坂の戦い」の奮闘が評価されたためか「戦闘」は高い。「外交」が最低なのは、越前一向一揆に降伏した後の要領の悪さを表していると思われる。

 主な登場シナリオは2、3、6であるが、シナリオ3では寿命が近い。また、シナリオ1でも4年後に朝倉景隆のもとで元服すると思われるが、未確認である。能力的には前述の通り戦闘要員であり、身分も高いため朝倉軍の中核を担える。
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●能力値
名前 朝倉景綱 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・かげつな 能力値
生没年 1530〜1594 軍師
登場年 1546年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 5年後 宿老 0.0万石
S2 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.0万石 足軽
S3 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.2万石 足軽
S4 浪人 宿老 一乗谷城 0.0万石 足軽
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 生没年不詳。越前国織田城城主。1570年4月の信長による越前侵攻の際には、500の兵で河野口の守りを固めた。1573年7月に朝倉義景自らが率いた浅井家救援部隊にも従軍しているが、撤収中に織田家の追撃を受けた「刀禰坂の戦い」では、戦わずに撤退している。

 義景の死後、景綱は信長に降伏し、本領を安堵された。また、本領の名から「織田景綱」と氏を改めたが、1574年1月に加賀の一向一揆が越前に侵攻してくると、景綱は妻子を引き連れて城を捨て、行方をくらました。以後の動向は不明である。
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●ゲーム 
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 本作の総勢11人の越前朝倉氏のうち、最低の能力値を持つ。彼のような武将の場合、身分の高さが能力の低さを増幅させ、特に「内政」の効率を下げてしまうこともある。そのため、僻地で「開墾」などをさせ、邪魔にならないように配慮したい。

 本作では、一向一揆から逃走した景綱は無事に生き延びたものと判断されたらしく、シナリオ4にも浪人として登場する。しかし、身分は「宿老」であるため、必要な知行は高く、前述のとおり身分も低い。そのため、雇い入れる必要性はないと言える。
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●能力値
名前 朝倉景紀 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・かげとし 能力値
生没年 1504〜1573 軍師
登場年 1520年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.8万石 足軽
S2 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.0万石 足軽
S3 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.2万石 足軽
S4
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 1505〜1572。孝景の弟。宗滴の養子となり、1527年の対三好戦、1531年の加賀侵攻では、いずれも彼の指揮下で戦った。また、これと前後して景紀は宗滴から敦賀郡司の地位を譲られた。その後30年ほどの動向は不明であるが、特に問題なく敦賀郡を統治していたのではないかと思われる。

 1561年、景紀は若狭武田家の内紛に介入して若狭における朝倉家の影響を強め、1563年以降は若狭で抵抗を続ける粟屋勝久と戦った。しかし、1564年の加賀侵攻の際、景紀の息子の景(かげみつ)と朝倉景鏡は口論となり、敗れた景は自害した。景紀は、この一件に憤り、所領に引きこもったという。

 これ以降、景紀と景鏡は、お互いに憎しみ合うようになり、1566年に足利義昭が朝倉家に庇護を求めて来ると序列を巡って争い、ついには顔を合わせなくなったという。1570年4月に信長が越前の金ヶ崎城を包囲した際、景鏡は援軍の一隊を率いながら途中で撤収しているが、金ヶ崎城の守将が景紀の息子の景恒であったことと無関係とは言い切れない。

 6月、景紀は同族の景健の指揮下に入り、近江の浅井長政の救援に向かった。「姉川の戦い」では、朝倉軍3千の兵を率いて前衛を担ったが、戦いは朝倉・浅井連合軍の敗北に終わった。その後まもなく、景紀は朝倉家の滅亡を見ることなく死去した。
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●ゲーム 
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 シナリオ3では寿命が近い。能力的には「戦闘」が高く、いずれのシナリオにおいても初期朝倉家の軍事の中核となる人材である。同傾向の能力を持つ景健や景行と比較すると、「戦闘」以外の能力も低くはないため、「内政」や「登用」も行える。
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●能力値
名前 朝倉景盛 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・かげもり 能力値
生没年 1517〜1585 軍師
登場年 1533年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.8万石 足軽
S2 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.0万石 足軽
S3 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.2万石 足軽
S4 浪人 宿老 一乗谷城 0.0万石 足軽
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 生没年不詳。義景の4代前の先祖の弟の家系に連なる。朝倉家の庇護をうけた足利義昭が敦賀から一乗谷に移った際、景盛は義景とともに彼を出迎えた。また、1572年5月からは、義景自らが率いる浅井長政の救援部隊に所属し、夜襲によって信長軍に打撃を与えた。義景の死後は信長に服従したが、1574年1月に加賀の一向宗が越前に侵攻してくると、その戦いの中で戦死したという。
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●ゲーム 
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 能力的には「外交」だけが人並みで他は低い。やはり主戦線から離れた城で「開墾」などを行うのに適しているが、彼の場合は、流れ着いた浪人を「登用」することもできる。

 また、長期間自領を留守にしても惜しくない人材であるため、「ハイエナ作戦」にも向いている。死亡しているはずのシナリオ4でも浪人として登場するが、「宿老」扱いで必要な知行も高いため、召し抱える必要はない。
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●能力値
名前 朝倉景行 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・かげゆき 能力値
生没年 1498〜1573 軍師
登場年 1514年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.8万石 足軽
S2 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.0万石 足軽
S3 朝倉家 宿老 一乗谷城 2.2万石 足軽
S4
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 ?〜1573。『信長公記』によると、1573年8月13日の「刀禰坂の戦い」で戦死した朝倉軍の武将の1人として名前が挙げられている。このことから、景行は、朝倉義景自らが率いた浅井家救援軍に従軍していたものと思われる。
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●ゲーム 
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 「戦闘」が高く、初期朝倉軍の戦力の中核を担えるが、シナリオ3では寿命が近い。能力的な傾向は朝倉景健に近いが、より「内政」は低くなり、戦時以外では役立たずとなっている。担当人数の少ない「内政」を行わせるか、「警戒」などを担当させ、「内政」の効率が落ちないようにしたい。
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●能力値
名前 朝倉宗滴 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・そうてき 能力値
生没年 1477〜1555 軍師
登場年 1493年 上昇 固有
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 朝倉家 宿老 金ヶ崎城 6.6万石 足軽
S2
S3
S4
S5
S6 朝倉家 主君 一乗谷城 5.0万石 足軽
●略歴 
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 1477〜1555。父は朝倉家第7代当主孝景。「宗滴」は法名で実名は「教景」。義景から遡ると、曾祖父の末弟にあたる。1503年、朝倉貞景の時代に朝倉景豊が謀反を目論んだ。宗滴も縁故から加担を求められたが、出家して申し出を断り、この一件を貞景に報告した。これにより、貞景は大事になる前に景豊を攻め滅ぼすことができた。宗滴は景豊に代わって敦賀郡司となり、金ヶ崎城を本拠地とした。

 1506年、加賀の一向一揆が越前に侵攻してきたが、宗滴は8月の「九頭竜川の戦い」で決定的な勝利を収め、越前における一向宗の勢力を排除した。以後、朝倉家は加賀の一向宗に対して攻勢に出ることが可能となった。

 1517年、宗滴は若狭武田氏の内乱を収め、1525年には、六角家と組んで浅井家を攻撃した。しかし、むしろ宗滴は、両者の調停に努めることとなり、以後の朝倉・浅井同盟の基礎を築いたという。

 1527年には将軍の足利義晴の要請で京都に赴き、三好軍に対して勝利を収めている。また、このころに宗滴は養子の景紀に敦賀郡司の地位を譲った。しかし、それで隠居したということではなく、1531年には一向宗の内乱に乗じて加賀に侵攻している。しかし、この攻撃は同時期に北から加賀を攻撃していた畠山軍が敗退したことから失敗となった。

 1544年、宗滴は織田信秀の要請を受けて斎藤道三と戦い、「赤坂の戦い」に勝利したが、本隊の織田軍が敗北したため、兵を引き上げた。1555年7月、宗滴は再び加賀に侵攻したが、戦闘中に病を患い、越前に後送された。しかし、療養中のまま9月に没している。
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●ゲーム 
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 登場シナリオは1と6。ちなみに、本作中最年長の武将であるが、シナリオ1を基準にするならば、10年以上は余命がある。朝倉家でプレイする場合は、おそらく最後まで活躍してくれるはずである。また、シナリオ6では名実ともに朝倉家の「主君」として、朝倉一族を統率している。

 宗滴は全ての能力が高いが、朝倉家の武将の傾向からすると、「謀略」を活かして「不穏」を行わせたい。さらに朝倉家では孝景も身分と「謀略」が高いため、この2人を組み合わせることで、様々な応用が可能となる。
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