戦国夢幻

 

   戦国夢幻 武将 あ  


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●能力値
名前 朝倉孝景 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・たかかげ 能力値
生没年 1493〜1556 軍師
登場年 1509年 上昇 汎用
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 朝倉家 主君 一乗谷城 2.6万石 足軽
S2
S3
S4
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 1493〜1548。景紀の兄。義景の父。父貞景の死に伴い、1512年に家督を継いで朝倉家の第10代当主となる。内政面では戦乱から逃れた貴族たちを受け入れ、越前の文化的振興に努めた。また、領内に寺院を建立したことから延暦寺との関係も厚く、後年において延暦寺が朝倉家に加担した一因となった。

 一方、軍事面では、若狭、美濃、近江などの抗争にたびたび介入している。また、1527年には将軍の足利義晴の要請に応じて三好軍を撃破、1531年には加賀の一向宗の内紛に乗じて加賀にも侵攻している。しかし、これらの戦いを指揮したのは、一族の宗滴景高らであり、本人は直接兵を率いていない。

 1540年ころから孝景と景高の仲は険悪となり、景高は上洛して将軍家や朝廷を抱き込んで謀反を目論んだ。一方、孝景も同様に将軍家や朝廷に対する取り込み工作を行い、景高を京都から追放させることに成功している。孝景は1548年に死去し、家督は嫡子の義景が継いだ。
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●ゲーム 
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 登場シナリオは1と6。ゲーム中の能力は「謀略」が高いが、これは景高との暗闘に勝利した結果が反映されていると思われる。他の能力は平凡であるが、孝景の治世下では越前の平和が脅かされることはほとんどなく、その安定した統治と文化的進展を考慮すれば、「内政」は高くても良かったのではないかという印象がある。

 ゲーム的には、必然的に「謀略」を活かした破壊工作を担うことになる。シナリオ1ならば、彼と宗滴の「不穏」により、加賀、能登、越中などは簡単に制圧できるが、シナリオ6では加賀に「謀略」が「A」の本願寺顕如がいるため、この手法は使いにくい。力づくで北に出るか、南に進出して国力を高めるかはプレイヤー次第である。
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●能力値
名前 朝倉政元 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・まさもと 能力値
生没年 1546〜1629 軍師
登場年 1562年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 21年後 地侍 0.0万石
S2 2年後 地侍 小田原城 0.0万石 足軽
S3 北条家 地侍 小田原城 0.1万石 足軽
S4 北条家 地侍 小田原城 0.1万石 足軽
S5 浪人 地侍 二条城 0.0万石 足軽
S6 北条家 地侍 小田原城 0.1万石 足軽
●略歴 
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 1546〜1629。朝倉孝景の次男の孫を称する。朝倉家滅亡後は北条家に仕え、伊豆鎌田城城主となる。北条家滅亡後は豊臣秀次の家臣となり、彼が処刑されると浪人となったが、後に家康に見出されて彼の息子たちに仕えた。
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●ゲーム 
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 本作では朝倉家の一族という説を採らず、最初から関東の武将として登場する。能力は全般的に低く、ゲーム開始時点で彼が所属している北条家以外では、改めて彼を召し抱える必要性は低い。北条家でプレイする場合は、「治水」で身分を上げ、適当な場所で「開墾」を行わせておけば、少なくとも邪魔にはならない。
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●能力値
名前 朝倉義景 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさくら・よしかげ 能力値
生没年 1533〜1573 軍師
登場年 1549年 上昇 固有
血族 朝倉 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 8年後 宿老 0.0万石
S2 朝倉家 主君 一乗谷城 3.3万石 足軽
S3 朝倉家 主君 一乗谷城 3.0万石 足軽
S4
S5
S6 朝倉家 宿老 一乗谷城 1.5万石 足軽
●略歴 
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 1533〜1573。朝倉孝景の息子。父の死後、朝倉家の第11代当主となる。。もともとの名は「延景」であったが、1552年に将軍の足利義輝から一字を拝領して「義景」に改め、同時に左衛門督に叙任されている。

 義景は父と同じく、戦乱を逃れてきた貴族を庇護するだけでなく、自らも文学を好み、仏書を講じるだけの教養があった。また、その一方では若狭や加賀に軍事的侵攻を行い、朝倉家の勢力を拡大している。ただし、そのほとんどの戦闘は、父と同じく一族に兵権を委ねており、本人が戦場に現れることはほとんどなかった。

 1565年、京都では義輝が三好三人衆らによって殺され、その弟の義昭が義景の庇護を求めた。義景は彼を匿い、元服の際には加冠役となった。義昭は足利将軍家の再興のため、義景に上洛を求めたが、義景は「ただ、諸国へご書状を与え給うて、東西南北の味方を集め、それから後に上洛なさるべきでしょう」と助言するだけであり、自分から動こうとはしなかった。

 1568年6月25日、義景の息子の阿君丸が早逝した。義景の落胆は激しく、万事が手つかずとなった。そのため、義昭は義景を見限り、信長と連絡を取った。信長が上洛を約束すると、義昭は美濃に移ろうとしたが、義景は義昭を引き留め、長年の忠勤が無となることを嘆いた。義昭は一筆をしたためて義景の忠勤を称えると、信長のもとに赴いた。

 その後、義景は新たに寵姫を迎え、彼女との間には愛王丸が産まれた。しかし、このころから朝倉家では、彼女をはじめとする女性たちの専横が目立つようになり、義景も享楽に耽るようになったという。
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●織田家との抗争
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 1568年9月、義昭は信長に奉じられて上洛を果たし、義景は信長から出頭を命じられた。しかし、義景は応じず、1570年には信長による越前侵攻を招いた。金ヶ崎城が包囲されると、義景は自ら兵を率いて救援に向かったが、途中で引き返したため、金ヶ崎城は陥落した。義景は窮地に追い込まれたが、浅井長政が信長を裏切ったため、織田軍は越前から撤退した。

 その直後から、義景は長政から再三の出兵要請を受けたが、積極的には動かず、信長を取り逃がした。その後、義景は改めて攻勢に出ているが、景鏡を美濃、景健を近江に送り、自らは越前に留まった。こうした義景の行動が非難されるのを見かけるが、これまでの義景の経歴においても、父の孝景においても、もともと戦場に出ることが少なく、この時だけが特別なのではないように思われる。

 「姉川の戦い」敗戦後の1571年9月、義景は長政の要請に応じ、自ら兵を率いて南下、「坂本の戦い」で森可成らを破るが、信長の進軍を知って比叡山に駐屯した。一方、信長も比叡山を包囲し、両者の対峙は3ヶ月に及んだが、朝廷の斡旋によって講和、義景も越前に戻った。 
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●滅亡
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 1572年8月、義景は再び長政の要請を受け、織田家に包囲された浅井家の救援に向かった。この後、信長は西進する武田軍に対処するため、美濃に移った。これは織田家を攻撃するチャンスであったが、12月になると、雪に退路を断たれる可能性もあって義景は越前に撤退した。これについて武田信玄は、義景を糾弾する書状を送っている。

 1573年7月、義景は長政の要請を受け、自ら兵を率いて信長と対峙したが、前線の砦を落とされ、浅井軍との連絡を絶たれたため、戦わずに撤退した。しかし、撤退中に刀禰坂で織田軍に追いつかれて戦闘となり、義景自身は景健に窮地を救われ、落ち延びることができたが、景氏景行ら親族や青木景康、河合吉統、斎藤龍興らの重臣が戦死した。

 一乗谷に帰還した義景は、景鏡の勧めで彼の守る大野に落ち延びた。しかし、賢正寺に寄宿したところで景鏡の襲撃を受け、切腹に追い込まれた。義景の首は景鏡から信長に献上され、その降伏の証とされた。
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●ゲーム 
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 『信長の野望』シリーズでは全体的に能力が低く、「戦国一ヤル気の無い男」、「大内義長と並んで情けない大名の筆頭格」、「次の代のアレ」など、評価もボロクソであるが、本作では一乗谷城の城下町の整備などの功績が評価されたためか、「内政」が高い。

 一方、「外交」も高いが、これは足利義昭を迎え入れたことが評価されているものと思われる。しかし、義昭に見限られ、信長のもとに去られたことや、信長の上洛命令に応じず、その侵攻を招いたことを考えれば、間違いなく過大評価と言える。

 シナリオ2と3では「主君」であるが、シナリオ3では寿命が近い。いずれのシナリオでも戦闘に出すことはありえないため、知行は最低限まで削り、戦闘要員に割り振りたい。工作要員を確保できれば勢力拡大は順調に進むが、どうあっても一向一揆に苦しめられるため、一向宗系の勢力の根絶を最優先にするべきである。
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●能力値
名前 浅野忠吉 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさの・ただよし 能力値
生没年 1546〜1621 軍師
登場年 1562年 上昇 汎用
血族 浅野 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1
S2
S3
S4
S5 浅野家 家老 甲府城 3.4万石 足軽
S6
●略歴 
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 1546〜1621。はじめは信長の直臣であったが、後に同族の浅野長政の配下となる。その後は長政に従い、彼の転封に伴って若狭、甲斐に移り、長政の息子の幸長の時代には紀伊の神宮を所領とした。

 忠吉は「大坂冬の陣」にも出陣しているが、これによって所領が手薄になった隙を突いて「北山一揆」が勃発した。「大坂冬の陣」の講和が結ばれると、忠吉は神宮に戻って一揆を鎮圧した。その後、浅野家が広島に封じられると、忠吉は三原城の城代家老となった。
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●ゲーム 
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 シナリオ5のみの登場。能力は平均的であるが、浅野家でプレイするならば、身分の高さで能力を補うことができる。それ以外の勢力ならば、取り立てて注目するべき要素はない。
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●能力値
名前 浅野長晟 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさの・ながあきら 能力値
生没年 1586〜1632 軍師
登場年 1602年 上昇 汎用
血族 浅野 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1
S2
S3
S4
S5 4年後 宿老 0.0万石
S6
●略歴 
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 1586〜1632。浅野長政の次男。幸長の弟。8歳の時から秀吉に仕えて3000石を賜った。「関ヶ原の戦い」以降は徳川秀忠の小姓となり、1610年より備前足守2万4000石に封じられたが、1613年に兄の幸長が病死したため、彼の所領である紀伊37万石を継承した。

 長晟は紀伊の検地と戸籍の調査を行ったが、これらは在地勢力の反発を招いた。そのため、長晟が「大坂冬の陣」に出兵して紀伊の戦力が手薄になると、領内では一揆が頻発した。「大坂冬の陣」の講和が結ばれると、長晟はただちに本国に戻って一揆を鎮圧したが、情勢が不穏なまま「大坂夏の陣」がはじまった。

 長晟は再び大阪に向かい、豊臣軍の塙直政の部隊を撃破したが、領内では一揆が再発した。「大坂夏の陣」が終わると、長晟は一揆の鎮圧に専念し、その殲滅に成功した。1619年、福島正則の改易により、長晟は安芸広島42万石に転封された。その後、長晟は広島藩初代藩主となり、その家名と領土は明治まで受け継がれることになる。
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●ゲーム 
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 本作ではシナリオ5だけに登場するが、実際に姿を現すのは4年後になる。能力的には見るべきところがなく、身分の高さで能力を補うタイプである。一門衆として強制的に配下に加わることになる浅野家以外は、無理に家臣とする必要はない。
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●能力値
名前 浅野長政 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさの・ながまさ 能力値
生没年 1547〜1611 軍師
登場年 1563年 上昇 固有
血族 浅野 備考 五奉行
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 22年後 地侍 0.0万石
S2 3年後 地侍 0.0万石
S3 織田家 地侍 清州城 0.2万石 足軽
S4 羽柴家 奉行 姫路城 1.5万石 足軽
S5 浅野家 宿老 甲府城 5.6万石 足軽
S6 豊臣家 重臣 大坂城 1.0万石 足軽
●略歴 
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 1547〜1611。幸長長晟の父。もともとは安井氏であったが、母の弟の娘婿として浅野家を継ぐ。この時の結婚相手は、秀吉の妻「ねね」の妹「やや」であった。その縁のためか、秀吉が出世すると、長政は彼のもとに配属され、近江の浅井家との戦いで初陣を飾った。「本能寺の変」後も長政は秀吉に従い、「賤ヶ岳の戦い」の功績により、近江に2万石の所領を得た。

 秀吉が信長死後の混乱を制すると、長政は京都奉行を務め、太閤検地の端緒とも言える山城国の検地を行い、のちには五奉行の筆頭として豊臣政権の行政を担った。その一方では1587年の九州遠征にも従軍しており、同年のうちに若狭8万石に転封、さらに翌年には従五位下、弾正少弼に叙任された。

 北条家滅亡後、長政は「奥州仕置」の責任者の1人として、東北の諸侯の領土を整理した。しかし、これによって改易された大崎家、葛西家の蜂起などの一揆が起こり、南部家では九戸政実が反乱を起こした。長政らは豊臣秀次を総大将とする討伐軍と合流し、政実に助命を保証して降伏させたが、政実らは処刑された。
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●「唐入り」
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 「唐入り」にあたり、長政は主に兵站面を担当した。また、「文禄の役」の緒戦に秀吉自らが朝鮮半島に渡ろうとした際には、徳川家康、前田利家らとともに彼を押し止めている。

 1593年1月7日に小西行長が平壌城から後退すると、長政は黒田官兵衛とともに朝鮮半島に渡り、秀吉の命を前線の諸将に伝えた。また、11月には甲斐22万石に転封され、東国諸大名との取次役を任されたが、「文禄の役」中の伊達政宗との対立が尾を引き、彼から絶縁状を叩きつけられている

 「慶長の役」における長政は日本に留まり、秀吉が危篤になると、石田三成、長束正家、前田玄以、増田長盛らとともに呼び寄せられ、お互いの私怨を捨てて豊臣秀頼に尽くすことを誓った。また、その一方で朝鮮の諸将に対しては、動揺を抑えるために秀吉が快復したと伝えた。

 秀吉の死後、長政は彼の遺命を受けた四大老の命で三成、毛利秀元らとともに九州に渡り、朝鮮遠征軍の撤収を管理した。この時、長政と三成は秀吉の死を秘めておくことを約束していたが、三成は密かに家康に秀吉の死を打ち明けたため、家康は長政に不信感を抱いたという。
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●五奉行内の確執
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 1599年7月、長政らは、秀頼との対面を終えた家康から、自分が秀頼に代わって庶務を決済するため、朝鮮から撤収した諸将には休息を取らせるように命じられた。長政らは、家康の命を諸将に伝え、そのほとんどは自らの所領へと帰っていった。

 しかし、9月になると、長政は家康の暗殺を目論んだという嫌疑をかけられ、武蔵国の府中に蟄居させられた。これに関しては、増田長盛の密告があったという。しかし、間もなくして長政は本多正信の引立てで家康と対面し、先の三成とのやり取りを聞かされたため、長政は家康に謝罪し、家康との関係を修繕した。

 1600年5月25日の「小山軍議」において、長政は三成らによって人質とされた家族を見捨ててでも三成と戦うことを誓った。しかし、長政自身は秀忠の部隊に属していたため、「関ヶ原の戦い」には参戦しなかった。戦後、息子の幸長は戦功によって紀伊37万石に封じられたが、それとは別に長政は常陸5万石が与えられた。
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●ゲーム 
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 ゲームの能力は秀でたところがなく、特に「外交」は最低である。その根拠と言えるものは、奥州仕置に対する反発、伊達政宗との対立、秀吉死後の立ち回りの悪さなどが考えられるが、秀吉死後の問題は「謀略」のカテゴリーに含まれるという印象がある。

 また、「内政」に関しても、彼が京都奉行として京都を治めたことや、太閤検地などの功績により、五奉行の1人として認められたことなどを考慮すると、明らかに過小評価であると思われる。

 主な登場シナリオは3以降。前述のとおり能力が低く、働きは期待できない。しかし、シナリオ5では武将の人数が少ない浅野家の「宿老」ということもあり、必然的に出番も増えることになる。
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●能力値
名前 浅野幸長 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさの・よしなが 能力値
生没年 1576〜1613 軍師
登場年 1592年 上昇 汎用
血族 浅野 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 51年後 地侍 0.0万石
S2 32年後 地侍 0.0万石
S3 21年後 馬廻 0.0万石
S4 10年後 地侍 0.0万石
S5 浅野家 主君 甲府城 10万石 足軽
S6
●略歴 
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 1576〜1613。浅野長政の長男。長晟の兄。幼くして秀吉に仕え、13歳の時に従五位下、左京太夫に叙任された。北条家の戦いで初陣を飾り、「文禄の役」では、1593年3月15日より増援として伊達政宗とともに朝鮮に渡っているが、目立った活躍はない。

 同年11月、浅野長政が甲斐22万石に封じられたが、その内16万石は幸長の所領であったとも言う。1595年、幸長は秀次事件に連座して能登に配流されたが、徳川家康、前田利家らの取り成しによって罪は許された。

 「慶長の役」がはじまると、幸長は西生蒲城の守備を命じられ、1597年6月20日に西生蒲城に上陸した。10月からは、太田一吉の指導のもと、蔚山城の築城に携わっていたが、完成間近の12月22日に明軍の襲撃を受けた。幸長は一吉らとともに蔚山城に籠り、加藤清正の救援を仰いだ。

 清正は長政から幸長を託されていたこともあり、西生蒲城と釜山の小早川秀秋に救援を求めると、自らわずかな手勢を率いて蔚山城に入った。23日から明軍の攻撃がはじまると、幸長は自ら銃を取り、多くの明兵を倒した。彼の鉄砲術は稲富祐直から伝授されたものであるという。

 この日のうちに西生蒲城の援軍が到着したが、包囲する明兵に阻まれて後退せざるを得ず、守備軍は現状の兵力で籠城を続けることになった。27日には食糧が尽きたが、29日には援軍も到着し、明軍を撃退した。1598年5月になると、幸長は休養のために帰国した。
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●三成との対立
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 「慶長の役」が終わり、帰国した幸長らは石田三成から茶会の誘いを受けたが、「われらの帰朝は治部少輔の欲せざるところであろう」と返し、三成への不快感をあらわにしたという。後に幸長は清正、黒田長政、池田輝政、細川忠興、加藤嘉明らとともに三成の暗殺を企てたが、家康との交渉により、三成が奉行職を辞職することで幸長らも矛を収めた。

 6月、家康が会津の上杉家征伐を布告すると、幸長は領土に戻って軍備を整え、遠征に従軍した。7月、三成らの挙兵によって伏見城が陥落すると、討伐軍は引き返して三成と戦うことを決めた。幸長は先発隊の一員となり、正則、輝政らの指揮下に入った。

 8月21日、先発隊は2部隊に分かれ、西軍の織田秀信の籠る岐阜城を攻撃した。幸長は輝政の部隊に配属されたが、、正則の部隊と合流する前に、城外の秀信軍と交戦した。幸長の部隊は敵の側面を突くかたちとなり、木造具政の部隊を敗走させた。これによって秀信軍は崩れ、東軍勝利のきっかけを作った。

 続く岐阜城攻めにおいて、幸長は外郭の瑞龍寺山の砦の攻略を担当した。幸長は自ら先陣に立ち、兵士を叱咤激励して砦を落とすと、輝政に続いて岐阜城に攻め入った。秀信が勧告を受け入れて降伏すると、幸長は輝政とともに護衛をつけて秀信を護送している。「関ヶ原の戦い」本戦では、輝政とともに南宮山の毛利輝元と対峙していたため、直接的な戦闘には参加していない。

 戦後、幸長は紀伊和歌山37万石に転封され、官位も従四位下の紀伊守に昇進した。その後、1611年には家康と豊臣秀頼の会見を実現させ、会見中は清正とともに秀頼を警護した。それより2年後に幸長は病死したが、幸長には息子がいなかったため、弟の長晟が浅野家当主の地位を受け継いだ。
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●ゲーム 
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 彼の最大の個性は「幸長」と書いて「よしなが」と読む名前にある。なまじ普通に「ゆきなが」と読めるだけに、ある意味では難読漢字よりもたちが悪い。彼の名前を初見で正確に読める人間は、おそらくいないと思われる。

 本作では、「蔚山城の戦い」や「岐阜城の戦い」の活躍が評価されたためか、「戦闘」が高く、他の能力も低くはない。シナリオ5では、浅野家の「主君」として能力を活かすことができるが、シナリオ4でも登場までに10年を要するため、それ以前のシナリオで見かけることは難しいと思われる。また、彼はシナリオ6だけに登場しないという珍しい武将でもある。
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●能力値
名前 朝比奈信置 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさひな・のぶおき 能力値
生没年 1528〜1582 軍師
登場年 1544年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 2年後 奉行 0.0万石
S2 今川家 奉行 駿府城 2.0万石 足軽
S3 武田家 組頭 駿府城 0.6万石 足軽
S4
S5
S6 今川家 部将 掛川城 0.9万石 足軽
●略歴 
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 1528〜1582。駿河朝比奈氏。駿河国庵原城城主。1548年には「小豆坂の戦い」に従軍して織田軍を撃破している。1568年に武田家が三国同盟を破り、今川領に侵攻してくると、信置は武田軍に降伏し、所領を安堵された。また、「信置」の名も、この後に信玄(晴信)から一字を拝領して名を改めたものであり、もともとは「元長」、あるいは「政貞」であったという。

 信置は穴山梅雪の指揮下に置かれて駿河先方衆の筆頭を務め、「長篠の戦い」にも従軍している。1580年には武田勝頼が徳川家から奪還した持船城の城代に任じられたが、2年後には徳川軍による攻撃を受け、久能山城に退いた。その後まもなく、信置は戦死、あるいは自害したようである。
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●ゲーム 
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 能力的には見るべきものはない。やはり「開墾」要員として適当な城に籠ることになると思われるが、シナリオ6ならば大筒隊を任せるという使い道もある。
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●能力値
名前 朝比奈泰朝 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさひな・やすとも 能力値
生没年 1536〜1605 軍師
登場年 1552年 上昇 汎用
血族 朝比奈? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 11年後 奉行 0.2万石
S2 今川家 奉行 駿府城 2.0万石 足軽
S3 武田家 組頭 駿府城 0.6万石 足軽
S4
S5
S6 今川家 部将 掛川城 0.9万石 足軽
●略歴 
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 生没年不詳。遠江朝比奈氏。泰能の息子。父の死後、掛川城主の地位を受け継ぐ。今川義元の尾張侵攻の際には前衛の一方を担い、鷲津砦を攻略したが、本隊が信長の強襲によって壊滅したため、泰朝も撤退した。

 義元の死後、今川家は嫡男の氏真が継いだが、独立した徳川家の圧迫を受け、今川家は衰退をはじめていた。1562年、泰朝は氏真の命で謀反の疑いがある井伊直親(直政の父)を討ったが、後に事実無根であることが判明した。

 1568年、武田家が「三国同盟」を破棄して今川領に侵攻した。泰朝は駿府城を追われた氏真を掛川城に保護したが、まもなく掛川城も徳川軍に包囲された。5ヶ月に及ぶ籠城戦の末、泰朝は氏真の命を保証させたうえで開城に応じ、氏真とともに北条家のもとに逃れた。以後の泰朝の動向は不明であるが、一説には徳川家の酒井忠次に仕えたとも言う。
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●ゲーム 
 
 主な登場シナリオは2、3、6。シナリオ1でも朝比奈泰能の息子として登場すると思われるが、未確認である。本作では掛川城開城後は武田家に降伏したものと解釈されたらしく、シナリオ3では武田家家臣として登場する。

 落ち目の今川家に忠誠を尽くした割りに「忠臣属性」は低いが、能力的には前項の信置よりも「内政」が高いため、内政要員として使えなくもない。シナリオ6では大筒隊も任せられる。
 
●能力値
名前 朝比奈泰能 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み あさひな・やすよし 能力値
生没年 1515〜1557 軍師
登場年 1531年 上昇 汎用
血族 朝比奈? 備考  
●シナリオ 
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵種
S1 今川家 与力 掛川城 0.7万石 足軽
S2
S3
S4
S5
S6 今川家 家老 掛川城 3.6万石 足軽
●略歴 
 
 ?〜1557。遠江国掛川城城主。泰朝の父。1548年の「小豆坂の戦い」では、太原雪斎の副将として活躍した。また、その翌年に岡崎城で城主の松平広忠が横死すると、当主不在の岡崎城を接収している。
  
●ゲーム 
 
 主な登場シナリオは1と6。今川家では数少ない「戦闘」の高い武将であり、いずれのシナリオでも身分が高いことから、即戦力としての活躍が期待できる。今川家は石高に余裕があるため、彼の知行は最大まで上げておきたい。
 
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