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             ?〜1582。美濃国北方城城主。美濃国守護土岐家の家臣であったが、当主土岐頼芸が斎藤道三に追われると、引き続き道三に仕える。斎藤家と織田家の同盟に基づき、1550年代初頭には尾張統一戦中の信長の救援に向かい、彼の居城である名古屋城を守ったこともあった。 
             
             道三と嫡子義龍の仲が悪化すると、守就は義龍につき、義龍の死後は、その息子の龍興に従った。1564年には娘婿の竹中半兵衛と共謀して稲葉山城を占拠したが、家中の支持を得られず、半年後には稲葉山城を退去している。その後は信長に内通し、斎藤家滅亡の一員を作った。 
             
             これ以降、守就は信長直属の家臣として各所を転戦したが、1580年になると、息子が武田家に内通したという理由で所領を没収され、蟄居を命じられた。1582年、「本能寺の変」によって信長が死ぬと、守就は旧領回復のため挙兵したが、彼の領地を治めていた稲葉一鉄と戦うことになり、敗れて戦死した。 
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