戦国夢幻

 

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   戦国夢幻 武将 い  
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●能力値
名前 以心崇伝 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いしん・すうでん 能力値 E E C A
生没年 1569〜1633 軍師
登場年 1585年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 44年後 地侍 0.0万石
S2 25年後 地侍 0.0万石
S3 13年後 地侍 0.0万石
S4 3年後 地侍 二条城 0.0万石 足軽
S5 浪人 地侍 二条城 0.0万石 足軽
S6 浪人 地侍 二条城 0.0万石 足軽
●略歴
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 1569〜1633。幕臣の息子であり、系譜をさかのぼると丹後の一色氏と同じ先祖を持つ。1573年より臨済宗の南禅寺で修業を積み、各地の寺院の住職を歴任、1605年に南禅寺の住職となる。

 1608年より家康の招聘を受けて外交文書の作成に当たるようになるが、後に幕政にも参加、1612年には「禁教令」と「寺院諸法度」を起草した。1614年には、方広寺の鐘銘を糾弾した1人となっている。

 「大坂の陣」の後には「武家諸法度」と「禁中並びに公家諸法度」を制定、徳川家の基盤を確固たるものとした。翌年の1616年に家康が死去すると、彼を「明神」に祀ろうとする崇伝は、「権現」を推す天海と争ったが、結局は天海の案が採用され、家康は「東照大権現」として祀られることになった。
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●ゲーム
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 家康のブレインというべき崇伝であるが、彼につかえたのが1608年以降であるためか、本作では全シナリオにおいて浪人として登場する。「方広寺鐘銘事件」の一件が「謀略」の高さに直結していることは容易に想像できるが、各種の法案を起草したにもかかわらず、「内政」は最低である。もしかしたら、これらも「謀略」の評価に組み込まれているのかもしれない。

 しかし、「謀略」が高いとはいえ、彼の身分は全シナリオを通じて「地侍」であるため、即戦力の工作要員を求めるのであれば、近場にいる忍者の「登用」を優先した方が良い。
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●能力値
名前 泉田重光 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いずみだ・しげみつ 能力値 C C C C
生没年 1540〜1604 軍師
登場年 1556年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 15年後 部将 0.0万石
S2 伊達家 部将 岩切城 0.2万石 足軽
S3 伊達家 部将 千代城 0.2万石 足軽
S4 伊達家 部将 千代城 0.2万石 足軽
S5 伊達家 重臣 千代城 0.7万石 足軽
S6 伊達家 部将 米沢城 0.1万石 足軽
●略歴
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 1529〜1596。陸奥国名取郡岩沼城城主。伊達家家臣。1588年の「大崎合戦」では先鋒を務めるが、足場の悪さに進軍が滞ったところを南条隆信に急襲され、敗北を喫している。

 その後、重光らは中新田城に退いたが、伊達方から大崎方に寝返った黒川晴氏の勧告を受けて開城した。しかし、重光は人質として両軍の講和を仲介した最上義光のもとに送られ、和議が成立するまで拘留された。

 1591年からは屋代景頼とともに「葛西大崎一揆」の鎮圧に従事する。同年の「奥州仕置」によって伊達家が米沢から仙台に転封されると、重光も先祖伝来の領地を失い、磐井郡薄衣城の城主となった。
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●ゲーム
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 シナリオ1でも登場するらしいが未確認。能力、身分のいずれもが、驚くほど平均的にまとまっている。しかし、シナリオ5では最初から「重臣」であるため、 「大筒」要員として活用するという手もある。
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●能力値
名前 伊勢貞運 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いせ・さだかず 能力値 C C D D
生没年 1537〜1601 軍師
登場年 1553年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 12年後 奉行 0.0万石
S2 北条家 奉行 小田原城 0.6万石 足軽
S3 北条家 奉行 興国寺城 1.2万石 足軽
S4 北条家 奉行 興国寺城 0.9万石 足軽
S5
S6 北条家 奉行 小田原城 0.3万石 足軽
●略歴
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 ?〜1590。北条氏の一門。各種の儀礼や儀式に通じていた。1590年の「小田原城の戦い」で戦死している。
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●ゲーム
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 本作では、北条氏の一門とは見なされていない。北条家の家臣として見るならば、。身分が高いため、平均的な「内政」であってもそこそこに働けるが、他家でプレイする場合は、取り立てて見るべきところはない。
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●能力値
名前 伊勢貞真 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いせ・さだざね 能力値 B C C D
生没年 1529〜1593 軍師
登場年 1545年 上昇 汎用
血族 伊勢? 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 4年後 家老 出水城 0.0万石 足軽
S2 島津家 部将 内城 0.5万石 足軽
S3 島津家 重臣 内城 0.4万石 足軽
S4 島津家 家老 県城 3.6万石 足軽
S5
S6 島津家 部将 出水城 0.3万石 足軽
●略歴
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 ?〜1593。貞成の父。島津義弘に従い、日向、肥後、豊後を転戦、1592年の「文禄の役」にも従軍しているが、翌年に病死した。
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●ゲーム
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 シナリオ1では4年後に「家老」として登場する。 「戦闘」が高く、即戦力となるため、あらかじめスカウト要員を待機させておくのも面白い。また、シナリオ3とシナリオ4でも最初から身分が高いため、これらのシナリオでは、優先的に知行を与えておきたい。
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●能力値
名前 伊勢貞成 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いせ・さだなり 能力値 B C E E
生没年 1564〜1628 軍師
登場年 1580年 上昇 汎用
血族 伊勢? 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 39年後 家老 0.0万石
S2 20年後 家老 0.0万石
S3 8年後 家老 0.0万石
S4 島津家 部将 内城 0.2万石 足軽
S5 島津家 部将 内城 0.2万石 足軽
S6 島津家 部将 内城 0.1万石 足軽
●略歴
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 1569〜1607。貞真の息子。島津家家臣。1592年、父とともに「文禄の役」に従軍するが、父が現地で病没したため、伊勢家の当主となる。1600年の「関ヶ原の戦い」では島津義弘に従い、退却の際には軍奉行として先陣を切っている。

 1603年、貞成は、島津家と寺沢家の婚姻を白紙に戻すための使者となった。しかし、その任を終えて寺沢家の家老の饗応を受けた際、宴の席で切り殺されたという。
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●ゲーム
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 シナリオ3までの登場については未確認。おそらく、貞真の息子として元服するのではないかと思われる。 「戦闘」は高いが、身分が中途半端であり、さらに島津家には戦闘要員が多数いるため、影が薄い。また、「外交」と「謀略」が低いのは、寺沢家とのやり取りが減点対象となったものと思われる。
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●能力値
名前 磯野員昌 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いその・かずまさ 能力値 A C D C
生没年 1524〜1574 軍師
登場年 1541年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 浅井家 重臣 小谷城 0.7万石 足軽
S2 浅井家 重臣 小谷城 0.7万石 足軽
S3 浅井家 重臣 小谷城 0.9万石 足軽
S4
S5
S6 浅井家 重臣 小谷城 0.8万石 足軽
●略歴
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 生没年不詳。近江国磯野城城主。浅井家に服属し、1561年より近江国佐和山城を任される。1570年6月の「姉川の戦い」では、浅井家の第一陣1500人を率いて織田軍の隊列を次々と突破し、信長の本隊にまで迫ったが、森可成の部隊に食い止められた。

 「姉川の戦い」の敗戦後、員昌は佐和山城に撤退したが、7月には織田軍に佐和山城を包囲された。しかし、員昌は佐和山城を守り抜き、信長は丹羽長秀を監視役に残して佐和山城を迂回した。

 翌年2月24日、員昌は丹羽長秀に降伏し、佐和山城を明け渡して近江国小川城に退いた。浅井家の滅亡後、員昌は近江国新庄城を与えられ、9月には、領内に潜伏していた杉谷善住坊を捕縛した。また、1575年には越前の一向一揆の鎮圧に従軍している。

 1578年、員昌は何らかの事情によって信長より領土を没収され、高野山に追放された。彼の領土は養子の津田信澄が継承しており、このあたりに彼の失脚の原因を見る説もある。
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●ゲーム
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 本作では姉川の奮戦がよほど高く評価されたのか、 「戦闘」は「A」である。さらに身分も高いため、浅井家でプレイする場合は、間違いなく主力となる。ただし、シナリオ3では2年後に死亡年が設定されているため、あっけなく戦死してしまうこともある。
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●能力値
名前 板垣信方 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いたがき・のぶかた 能力値 B B B C
生没年 1500〜1564 軍師
登場年 1516年 上昇 固有
血族 備考  武田二十四将
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 武田家 家老 躑躅ヶ崎館 1.5万石 騎馬
S2
S3
S4
S5
S6 武田家 重臣 新府城 0.3万石 騎馬
●略歴
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 ?〜1548。武田信虎の時代から武田家に仕え、1540年には信濃国佐久郡に侵攻している。しかし、その翌年の1541年には甘利虎泰らとともに信虎の追放を主導した人物の1人となった。

 信虎の子の信玄が武田家の当主になると、信方は虎泰とともに「両職」として信玄を支えた。1542年7月に信玄が信濃に侵攻すると、信方は諏訪頼重の降伏を取りまとめたが、後に頼重は信玄によって謀殺されている。

 その後、信方は諏訪郡代として頼重の旧領を統治した。しかし、1545年7月には、小笠原長時との小競り合いで敵の誘因に引っかかり、少なからぬ損害を出している。

 また、1547年2月の楽巌寺雅方との戦いでは、多めに出した斥候が敵に捕捉され、殲滅されかかるという失態を犯しているが、同年閏7月の「小田井原の戦い」では、虎泰とともに別働隊を率いて上杉憲政軍を破っている。

 1548年、村上義清が侵攻してくると、信方は先陣を切り、緒戦を勝利に飾った。しかし、戦闘中に首実検を始めたため、体勢を立て直した村上軍の攻撃を受けて戦死した。
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●ゲーム
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 能力的には「謀略」を除けばオールマイティであり、相方の虎泰の完全な上位互換になってしまっている。
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●能力値
名前 板倉勝重 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いたくら・かつしげ 能力値 C B C B
生没年 1545〜1624 軍師
登場年 1561年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 20年後 地侍 0.0万石
S2 1年後 部将 岡崎城 0.0万石 足軽
S3 徳川家 部将 岡崎城 0.3万石 足軽
S4 徳川家 部将 岡崎城 0.8万石 足軽
S5 徳川家 部将 八王子城 1.0万石 足軽
S6 徳川家 地侍 岡崎城 0.1万石 足軽
●略歴
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 1545〜1624。幼いころに出家したが、父と弟が戦死し、板倉家の当主がいなくなったことから、家康の命で還俗し、板倉家の家督を継ぐ。家康が今川家、武田家の旧領を併合すると駿府町奉行、関東に転封されると関東代官、江戸町奉行を歴任する。

 「関ヶ原の戦い」によって家康が覇権を確立すると、勝重は京都所司代となり、朝廷および豊臣家を監視した。その関係により、方広寺の鐘銘事件にも一枚かんでいる。勝重は京都所司代を20年ほど勤めたのち、息子に地位を譲ったが、親子そろって評判は良く、その判例は虚実を交えて『板倉政要』として後世に伝わっている。
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●ゲーム
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 略歴を見れば「内政」の高さは当然であり、「B」でも物足りなく感じられる。一方、「謀略」の高さは、方広寺関連の評価であると思われるが、身分が低めであるため、工作要員としての活用は難しい。素直に内政要員として運用した方が良いと思われる。
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●能力値
名前 板部岡江雪斎 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いたべおか・こうせっさい 能力値 C B E D
生没年 1537〜1609 軍師
登場年 1553年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 12年後 重臣 0.0万石
S2 北条家 重臣 小田原城 0.3万石 足軽
S3 北条家 奉行 小田原城 1.1万石 足軽
S4 北条家 奉行 小田原城 1.1万石 足軽
S5 豊臣家 部将 大坂城 0.5万石 足軽
S6 北条家 奉行 小田原城 0.3万石 足軽
●略歴
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 1537〜1609。出自については執権北条氏の末裔とする説がある。真言宗の僧侶であったが、北条氏康に見いだされて彼の右筆(秘書官)となり、後には評定衆として国政に関与した。

 1573年に武田信玄が死ぬと、江雪斎は甲斐に赴き、その生死を確かめようとした。この時、信玄の弟の信廉が信玄に扮して江雪斎に接したが、江雪斎は見破ることができず、信玄は健在であると報告した。

 1582年、信長死後の「天正壬午の乱」では、北条家の代表として徳川家との講和を取りまとめただけでなく、北条氏直と家康の娘の督姫の婚姻を取りまとめ、北条・徳川同盟を成立させた。

 1589年、江雪斎は拝謁し、北条家と真田家の沼田城の領有を巡る問題の調停を願い出た。この時、その見識と態度を秀吉から称賛され、裁定の約束を取り付けることもできたが、猪俣邦憲が力づくで沼田錠を占拠したことから、これらの折衝も水の泡となった。

 北条家滅亡後、江雪斎は秀吉の御伽衆となり、姓を「岡野」と改めた。秀吉の死後は家康の会津遠征に従軍、そのまま徳川家の家臣となり、その旗本として家系を保った。
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●ゲーム
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 外交僧としての実績があるにもかかわらず、「外交」は最低の「E」である。「内政」が「B」であることからすると、能力値が1つずつ左にずれている気がしてならない。ともあれ、ゲーム的には「内政」が高い方が有用であり、ほとんどのシナリオで身分も高いため、内政要員としての働きが期待できる。

 ちなみに、彼には太原雪斎のせいで、「板部岡江・雪斎(いたべおかえ・せっさい)」と区切られてしまうという持ちネタがある。さらに、彼自身は「江雪」と署名していたため、名前の区切りの分かりにくさに拍車をかけている。
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●能力値
名前 伊丹親興 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いたみ・ちかおき 能力値 C C C C
生没年 1510〜1574 軍師
登場年 1526年 上昇 汎用
血族 伊丹? 備考 摂津三守護 
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 三好家 組頭 芥川城 0.5万石 足軽
S2 三好家 組頭 芥川城 0.6万石 足軽
S3 織田家 組頭 伊丹城 0.6万石 足軽
S4
S5
S6 豊臣家 組頭 芥川城 0.6万石 足軽
●略歴
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 ?〜1574。摂津国伊丹城城主。細川京兆家の内紛では高国派に属し、1541年8月には、一庫城を包囲した晴元派の三好長慶を退かせた。しかし、1545年には晴元派として高国の子氏綱と戦っている。

 1548年より晴元と長慶が対立すると、親興は晴元に味方し、晴元の敗北後も伊丹城に籠って抵抗を続けたが、後に長慶と和睦した。以後は長慶に属して六角義賢、畠山高正らと戦っている。

 1564年に長慶が死去し、三好家中が松永久秀派と三好三人衆派に分かれると、親興は久秀派に属するが、篠原長房らに伊丹城を包囲され、1567年9月5日に降伏した。

 1568年に織田信長が上洛すると、親興は彼に降り、同じく臣従した池田勝正、和田惟政らとともに「摂津三守護」に任じられた。以降は摂津を中心として三好家との戦いに従軍するが、1572年に足利義昭が信長に反旗を翻すと、親興は義昭に従った。しかし、義昭降伏後の1574年11月、伊丹城は荒木村重によって攻略され、親興も自害した。
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●ゲーム
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 『信長の野望』シリーズの評価は「役立たず」、「使えない武将であるのは相変わらずである」。本作では平凡な能力ではあるが、二線級の内政要員としては、そこそこに働ける。身分も低いため、手軽に登用できる点も大きい。

 しかし、彼は所属する勢力が分裂した場合、ほぼ確実に敗者側に味方するという、ある意味ですごい経歴を持っている。その点を考慮すれば、「外交」や「謀略」は最低ランクでもよかったのではないかと思われる。
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