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             1545(1548年説も)〜1596。文種の次男。種長、高橋元種の父。父と兄は1557年の大友家との戦いで死亡し、この時に一度秋月家は滅亡した。幼い種実と弟たちは毛利家の庇護のもとで成長し、1559年からは旧臣の蜂起や毛利家の助力で旧領に戻り、秋月家を再興した。その後、種実は弟たちと協力しながら勢力を広げ、1567年には「休松の戦い」で大友軍を撃破している。 
             
             毛利家が西進をはじめ、立花鑑載らも大友家に反旗を翻すなど、情勢は種実にとって追い風となった。しかし、鑑載の反乱は早々に鎮圧され、毛利家も「多々良浜の戦い」で敗北したことによって種実の味方はいなくなり、1569年には大友家に降伏した。 
             
             1578年の「耳川の戦い」において、大友軍が大損害を受けると、種実は再び反旗を翻し、島津家と結んで大友家領を刈り取っていった。その結果、秋月家の領土は36万石に達したが、窮地に陥った大友宗麟は、秀吉に救援を求めた。 
             
             種実は引き続いて島津家とともに豊臣軍と交戦したが、戦いに敗れると頭を丸め、茶器の「楢柴肩衝」と名刀「国俊」を手土産に降伏した。その結果、家名の存続は許されたが、種実は領土を没収され、あらたに日向高鍋3万石をあてがわれた。 
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