戦国夢幻 武将 い
武将総覧
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●能力値 名前 伊東祐基 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いとう・すけもと 能力値 C C C C ◎ 生没年 1519〜1583 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1535年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 伊東 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 伊東家 宿老 都於郡城 1.2万石 足軽 S2 伊東家 宿老 都於郡城 0.8万石 足軽 S3 伊東家 宿老 都於郡城 2.0万石 足軽 S4 ― ― ― ― ― S5 ― ― ― ― ― S6 伊東家 宿老 都於郡城 1.0万石 足軽 ●略歴 _
生没年不詳。1568年の「第九次飫肥の戦い(第九飫肥役)」で伊東軍の総大将を務める。この戦いは伊東家の勝利に終わり、飫肥一帯は伊東家の領有するところとなった。
_●ゲーム _
能力は平均的だが、身分の高さで補えるタイプ。特にシナリオ1の伊東家では、彼しか家臣がいないこともあり、嫌でも活用しなければならない。とは言え、彼を戦場に出すくらいであれば、 「戦闘」の高い武将を 「登用」することを優先した方が良い。
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●能力値 名前 伊藤長弘 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いとう・ながひろ 能力値 B E E D ○ 生没年 1560〜1624 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1576年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 ― 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 ― ― ― ― ― S2 ― ― ― ― ― S3 ― ― ― ― ― S4 ― ― ― ― ― S5 豊臣家 組頭 大阪城 0.3万石 足軽 S6 ― ― ― ― ― ●略歴 _
生没年不詳。羽柴秀吉の鉄砲組頭として「小牧長久手の戦い」や関東侵攻などに従軍するが、唐入りでは日本に留まった。「豊家の変」では西軍に属して伏見城攻めに参加、その後は犬山城の守りを固めるが、以後の消息は不明である。
_●ゲーム _
本作ではシナリオ5のみに登場している。 史実では鉄砲組頭であるが、 「鉄砲」は装備しておらず、「戦闘」は高いものの身分も低い。そのため、あまり印象に残らない存在と言える。いずれにせよ、即戦力として使っていくことはできないため、まずは身分を上げる必要がある。
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●能力値 名前 伊東義賢 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いとう・よしかた 能力値 D C E C ◎ 生没年 1568〜1594 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1584年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 伊東 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 42年後 宿老 ? 0.0万石 ? S2 24年後 宿老 ? 0.0万石 ? S3 13年後 宿老 ? 0.0万石 ? S4 2年後 宿老 堺城 0.0万石 ? S5 ― ― ― ― ― S6 伊東家 宿老 都於郡城 1.0万石 足軽 ●略歴 _
1567〜1593。伊東義益の息子。祐勝の兄。父が1569年に死去したため、祖父義祐に養育される。1577年に家督を相続し、伊東家の第13代の当主となるが、この年に伊東家は島津家に滅ぼされたため、豊後の大友宗麟の庇護を受けた。その後、義祐らは東に落ち延びたが、義賢は宗麟の元にとどまり、カトリックの洗礼を受けている。
1587年に叔父の祐兵が羽柴秀吉の家臣として伊東家を再興すると、義賢は祐勝とともに彼の元に参じた。さらに、1593年の「文禄の役」では、祐兵に従って朝鮮半島に渡るが、病を患い、後送される途中の船上で死去した。しかし、正当な伊東家の当主である義賢と、実力で伊東氏を再興した祐兵との間に家督争いが生じるのを避けるために暗殺されたという説もある。
_●ゲーム _
義益の息子として元服すると思われるが未確認。基本的には二線級の内政要員であるため、あまり知行を与えるメリットはない。
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●能力値 名前 伊東義祐 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いとう・よしすけ 能力値 C C C C ◎ 生没年 1512〜1585 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1528年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 伊東 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 伊東家 主君 都於郡城 2.0万石 足軽 S2 伊東家 主君 都於郡城 2.5万石 足軽 S3 伊東家 主君 都於郡城 2.5万石 足軽 S4 浪人 宿老 堺城 0.0万石 足軽 S5 ― ― ― ― ― S6 伊東家 主君 都於郡城 1.6万石 足軽 ●その栄光 _
1512〜1585。義益、祐兵の父。第9代当主であった兄の死、それに伴う叔父の反乱と鎮圧、有力家臣に推されて第10代当主となった弟の早逝を経て1536年に日向伊東氏の第11代目の当主となる。ちなみに、元々の名は「祐清」と言ったが、1537年に将軍足利義晴の偏諱を受けて「義祐」を名乗っている。
1541年になると、義祐は、弟の派閥に属していた家臣団の反乱を鎮圧し、その体制を盤石のものとした。また、1558年、義祐は婚姻関係にあった北原家の内紛に介入し、反対派を一掃して北原家の領土を併合する一方、1560年には、息子の義益に家督を譲り、その後見役となった。
1562年、北原家の残党は、島津家や相楽家などの助力を得て旧領の一部を奪回したが、義祐は1564年までに領土の大半を奪い返した。さらに、1568年には、島津家との「第9次飫肥城の戦い(第九飫肥役)」に勝利し、義祐は長らく島津家と領有権を争っていた飫肥城の領有を決定的なものにした。これにより、伊東家は48の城を所有することとなり、「伊東四十八城」と呼ばれる支配体制を確立した。
続いて義祐は、さらに南方の飯野城へと侵攻したが、1569年に義益が急死したため、撤収せざるを得なくなった。義益の息子の義賢は当時2歳であったため、義祐が実質上の当主として復帰することとなった。しかし、この頃から、義祐は享楽に耽るようになり、浪費が激しくなったと言う。
_●その没落 _
1571年、義祐は相楽家と結び、3000の兵を送り出して再度南下を開始した。しかし、この部隊は、1572年6月14日の「木崎原の戦い」で大敗し、伊東家の一族と「伊東四十八城」を構成する有力豪族の多くが戦死した。そのため、これによって伊東家と島津家の攻守関係は逆転し、これ以降、伊東家は島津家の侵攻にさらされることになる。
1576年より島津家の本格的な侵攻が開始され、「伊東四十八城」は次々と陥落して行った。1577年、義祐は義賢に正式に家督を譲ったが、それで事態が改善されることはなく、年末には一族を連れて所領を放棄し、豊後の大友宗麟の元に逃れた。1578年、宗麟は伊東家の再興を掲げて日向に侵攻したが、「耳川の戦い」に大敗し、伊東家復興の夢は潰え去った。
その後、義祐は祐兵ら一族の一部を連れて東に流れた。このうち、祐兵は羽柴秀吉の知遇を得て彼に仕えたが、義祐は仕官せず、主に中国地方を放浪していた。しかし、間もなく病を得たため、祐兵のいる堺に戻ろうとしたが、船旅の途中で砂浜に討ち捨てられた。この時、偶然にも祐兵の従者に発見されたため、義祐は祐兵の邸宅で療養したが、間もなく死亡した。
_●ゲーム _
1540年代から1560年代までのやり取りを見る限り、実際はかなりのやり手のように感じられる。また、享楽に耽って財貨を浪費するという、「内政」のマイナス要因となるエピソードも備えているが、ゲーム中の能力自体はまったくの平凡であり、面白みはない。
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●能力値 名前 伊東義益 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いとう・よします 能力値 B C D C ◎ 生没年 1546〜1569 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1562年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 伊東 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 31年後 宿老 ? 0.0万石 ? S2 2年後 宿老 ? 0.0万石 ? S3 ― ― ― ― ― S4 ― ― ― ― ― S5 ― ― ― ― ― S6 伊東家 宿老 都於郡城 1.0万石 足軽 ●略歴 _
1546〜1569。義祐の息子。義賢、祐勝の父。庶子であったが、嫡子の兄の早逝により、1560年より義祐より家督を譲り受け、伊東家の第12代の当主となる。家臣や民衆からの評判も良かったと言われるが、1569年に病死した。
_●ゲーム _
実績らしい実績はないにもかかわらず、「戦闘」は「B」である。しかも、本作に登場する伊東一族7人のうち、「B」以上の能力を持つのは彼1人である。過大評価も良いところであるが、寿命は史実通りに設定されており、登場が現実的なシナリオ2では活用が難しい。実質的に、寿命の概念がないシナリオ6専用の武将と言える。
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●能力値 名前 伊奈忠次 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いな・ただつぐ 能力値 E B C C ○ 生没年 1550〜1609 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1566年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 ― 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 25年後 地侍 ? 0.0万石 ? S2 6年後 部将 ? 0.0万石 ? S3 徳川家 部将 掛川城 1.0万石 足軽 S4 徳川家 部将 掛川城 1.0万石 足軽 S5 徳川家 部将 江戸城 0.5万石 足軽 S6 徳川家 地侍 岡崎城 0.1万石 足軽 ●略歴 _
1550〜1610。徳川家の家臣であるが、1563年に父が三河一向一揆に加担したことにより、一度徳川家を出奔する。その後、1575年の「長篠の戦い」で功績を挙げて帰参し、徳川信康の元に配属されるが、1579年に信康が自害した際に再び出奔する。
その後、忠次は堺に移り住んだが、1582年に「本能寺の変」が勃発すると、当時堺にいた家康に合流し、共に伊賀を超えた。その後は徳川家家臣として再起し、1590年に家康が関東に移されると、関東代官として徴税法の制定の他、新田開発や治水工事などを行い、江戸幕府繁栄の礎を築いた。
_●ゲーム _
シナリオ3の時点では、まだ徳川家に復帰していないはずであるが、すでにこの時点で徳川家家臣である。典型的な内政要員であり、戦闘に出すことはないため、知行を与える必要はない。シナリオ6では、強兵属性を持つ岡崎城に知行を持っているが、やはり、これもあまり意味がないため、領土の拡張とともに、強兵属性のない城に知行を映しておきたい。
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●能力値 名前 稲富祐直 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いなどめ・すけなお 能力値 A C C C ○ 生没年 1552〜1611 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1568年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 稲富? 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 27年後 組頭 ? 0.0万石 ? S2 8年後 与力 ? 0.0万石 ? S3 一色家 与力 建部山城 0.4万石 鉄砲 S4 浪人 与力 建部山城 0.0万石 ? S5 浪人 組頭 田辺城 0.0万石 ? S6 浪人 組頭 田辺城 0.0万石 ? ●略歴 _
1552〜1611。祐秀の孫。もともとは一色家に属していたが、主家が細川家に滅ぼされると、続いて細川家に従属する。「慶長の役」では、1597年12月の蔚山城の防衛戦に従軍していたとも言われるが、主家の細川家は「文禄の役」にしか従軍していないため、真相は不明である。
1600年6月、徳川家康は上杉景勝の会津に侵攻し、当時の細川家の当主であった忠興も従軍した。この時、祐直は大坂に残り、忠興の正室ガラシャの護衛についたが、7月になると、大坂に残留していた石田三成らが挙兵し、家康に従った諸侯の家族を人質に取ろうとした。7月16日、三成らは大坂の細川家の邸宅を襲撃し、防ぎきれないことを悟った祐直らは、協議の結果、ガラシャが自害するまでの時間を稼ぐこととした。この時、祐直は表門の守りを固めていたが、敵兵が押し寄せてくると、持ち場を離れて逃走した。
「関ヶ原の戦い」の後は、当然のことながら忠興の怒りを買うが、徳川家の庇護を受けて幕府鉄砲方に組み込まれ、最終的には家康の九男である尾張の徳川義直に仕えた。また、祐直は稲富流砲術の開祖でもあり、『一流一返之書』全11巻、『極意』全9巻、『一大事極意・外物』全5巻などの史料を残している。
_●ゲーム _
彼に関しては、砲術の神技と同時に、数多くの無様な逸話が伝えられているが、現状では、史料的な裏付けが取れないため、ここには記さない。しかし、どちらにせよ、確実と言える逸話が「主君の奥方を見捨てて逃げた」だけという分際で、この能力は過大である。本作における過大評価の筆頭といっても間違いはない。
とは言え、シナリオ3では弱小の一色家における「鉄砲」装備の武将であり、一色家でプレイするにしても、「ハイエナ作戦」を狙うにしても注目するべき存在となる。また、シナリオ4では、「与力」の「浪人」として即戦力となるため、積極的に「登用」を行うべき武将である。ゲームとして割り切るのであれば、優遇するべき立場にあることは間違いない。
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●能力値 名前 稲富祐秀 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いなどめ・すけひで 能力値 B D C C ○ 生没年 1505〜1564 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1521年 上昇 ― ― ― ― 固有 血族 稲富? 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 一色家 重臣 建部山城 2.0万石 足軽 S2 一色家 重臣 建部山城 3.0万石 足軽 S3 ― ― ― ― ― S4 ― ― ― ― ― S5 ― ― ― ― ― S6 浪人 与力 田辺城 0.0万石 足軽 ●略歴 _
生没年不詳。丹後弓木城城主。祐直の祖父。当時、鉄砲の名手と呼ばれた佐々木義国より砲術を習い、1554年に認可を受けたという。ただし、佐々木義国がどのような人物であったのかは不明である。
_●ゲーム _
「戦闘」と身分が高いうえ、固有の顔グラフィックを持っている。孫の能力と合わせて考えると、本作における稲富氏の優遇ぶりは異常とさえ言える。当然のことながら、一色家でプレイする場合は武の中枢となり、シナリオ1とシナリオ2では「ハイエナ作戦」、シナリオ6では 「登用」を優先するべき武将であるが、意外なことに 「鉄砲」を装備したシナリオが1つもないことには注意を要する。
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●能力値 名前 稲葉一鉄 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いなば・いってつ 能力値 B C C C △ 生没年 1515〜1588 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1531年 上昇 ― ― ― ― 固有 血族 稲葉 備考 西美濃三人衆 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 斎藤家 重臣 稲葉山城 1.0万石 足軽 S2 斎藤家 重臣 稲葉山城 2.0万石 足軽 S3 織田家 重臣 岐阜城 0.9万石 足軽 S4 神戸家 家老 郡上八幡城 5.0万石 足軽 S5 ― ― ― ― ― S6 斎藤家 奉行 稲葉山城 2.0万石 足軽 ●略歴 _
1515〜1588。美濃国曽根城主。貞通の父。「一鉄」は法名であり、もっとも有名な諱は「良通」。幼くして出家するが、父と5人の兄が相次いで戦死したことから、1525年に還俗して稲葉家の当主となる。稲葉家は、美濃守護の土岐家につかえていたが、斎藤道三が台頭すると、一鉄は彼に従い、道三と息子の斎藤義龍が対立すると、今度は義龍に加担した(なお、義龍の生母は一鉄の姉に当たると言う)。
義龍が病で早逝すると、一鉄は続いて彼の息子の龍興に仕え、しばしば美濃に侵攻してきた織田信長と交戦した。しかし、1567年になると龍興に見切りをつけて信長に従い、以降は信長の上洛、伊勢攻略、越前攻略などに従軍している。
1571年の「姉川の戦い」では、徳川家康の願いにより、一鉄は彼の支援に回った。しかし、徳川軍と朝倉軍の戦闘中は、終始徳川軍が優勢であったため、一鉄の出番はなく、朝倉軍が敗走すると、一鉄は苦戦中の織田軍を救援すべく、徳川軍とともに浅井軍の側面を突き、形成の逆転に一役買った。
戦後、信長は一鉄の功績を第一とし、自らの名を与えたが、一鉄は辞退して徳川軍の奮戦を称え、それに気付かない信長を批判した。そのため、信長は一鉄の意を汲み、家康と彼の家臣団に褒美を与えた。このような主君に対しても物怖じしない一鉄の態度が「頑固一徹」の語源になったとも言われている。
以降も一鉄は、第二次越前攻略や各地の一向一揆の鎮圧、反乱を起こした荒木村重との戦いなどに従軍した後、1579年に家督を貞通に譲った。しかし、1582年に「本能寺の変」が勃発すると、1580年に追放されていた安藤守就が蜂起し、稲葉家の領土を襲撃したため、一鉄は守就の一党を滅ぼした。さらに一鉄は領土を拡大して行ったが、信長死後の混乱は羽柴秀吉によって収められたため、以降は彼に従った。
なお、明智光秀の重臣となっていた斎藤利三の娘の福は、一鉄にとっては孫娘(母方の祖父にあたる)に当たるため、利三の死後は一鉄が引き取って養育している。この福は、後に春日局となった。
_●ゲーム _
「戦闘」だけでなく、登場するすべてのシナリオで最初から身分が高いため、即戦力としての活躍を期待できる。ただし、シナリオ5では寿命が近いため、注意が必要である。また、 「忠臣属性」が低く、「内応」に応じやすいため、状況が許すのであれば、「内応」を試みるのも面白い。
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●能力値 名前 稲葉貞通 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いなば・さだみち 能力値 C C D C ○ 生没年 1546〜1603 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1562年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 稲葉 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 21年後 組頭 ? 0.0万石 ? S2 2年後 組頭 ? 0.0万石 ? S3 織田家 組頭 岐阜城 0.2万石 足軽 S4 神戸家 部将 郡上八幡城 0.8万石 足軽 S5 織田家 与力 郡上八幡城 1.4万石 足軽 S6 斎藤家 組頭 稲葉山城 0.3万石 足軽 ●略歴 _
稲葉一鉄の息子。父とともに斎藤家から織田家に鞍替えし、1579年に乳から家督を譲られる。「本能寺の変」以後は、やはり父と同じく羽柴秀吉に属するが、この時に息子に家督を譲っている。もっとも、この息子が1587年に秀吉の換気を被り、蟄居を命じられたため、貞通は稲葉家の当主として復帰することになった。
1592年の「文禄の役」では、1400の兵を率いて朝鮮に渡り、主に後方の守りを固めた。1600年の「豊家の変」では西軍に属して郡上八幡城の守りを固めたが、織田秀信の命で犬山城の救援に向かうこととなった。貞通は、その途上で東軍の福島正則の誘いを受け、東軍に寝返ったものの、情報伝達の不備により、郡上八幡城は東軍の別動隊の攻撃を受け、9月2日に人質を出して降伏した。
9月3日、貞通は郡上八幡城の異変を知り、兵を率いて引き返す途中であったが、郡上八幡城が陥落したことを知ると、講和が成立して愛宕山に駐屯していた東軍の別動隊を攻撃した。この時点で、別動隊は、貞通が東軍に寝返ったことを知っていたため、隙を突かれた形となり、大きな損害を出した。その後、郡上八幡城に戻った貞通は、改めて別動隊に講和を申し入れるとともに、剃髪し、正則を通じて徳川家康に謝罪を申し入れた。これらの工作が功をなし、貞通は所領を安堵されただけでなく、1万石を加増されて5万石を領有することとなった。
_●ゲーム _
1562年まで稲葉一鉄が生存している場合は、彼の元で元服する。しかし、能力は平凡であるため、そのまま埋もれることになると思われる。
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