戦国夢幻 武将 い
武将総覧
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は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゆ よ ら り る れ ろ わ 独 未
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●能力値 名前 市橋長勝 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いちはし・ながかつ 能力値 B D D C 〇 生没年 1557〜1620 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1573年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 ― 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 ― ― ― ― ― S2 ― ― ― ― ― S3 ― ― ― ― ― S4 ― ― ― ― ― S5 福島家 与力 清州城 1.4万石 足軽 S6 ― ― ― ― ― ●略歴 _
1557〜1620。元々は信長に仕えていたが、その死後は秀吉に従い、1589年より美濃の今尾城主として1万石を領有した。 「豊家の変」では家康の会津遠征に従い、石田三成が挙兵すると、福島正則に従って本隊に先行し、今尾城の守りを固めた。
1600年8月16日、長勝は徳永寿昌らとともに西軍に属する福束城を攻撃し、翌日には陥落させた。その後、長勝は福束城を占拠したが、福束城は大垣と桑名の交通の要所にあり、西軍の使者の往来があったため、これを何度か捕らえて書簡を奪い、正則を通じて家康に送った。その功績もあり、「関ヶ原の戦い」の後は、1万石を加増され、2万石を領有することになった。
_●ゲーム _
ゲームではシナリオ5のみの登場となり、所領の都合上、福島家の家臣となっている。福島家でプレイする場合は、福島兄弟に次ぐ戦闘要員としての活躍が期待できるため、優先的に知行を割り振っておきたい。
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●能力値 名前 一万田鑑実 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いちまだ・あきざね 能力値 B C C C 〇 生没年 1534〜1598 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1550年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 一万田? 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 9年後 重臣 ? 0.0万石 足軽 S2 大友家 重臣 臼杵城 0.5万石 足軽 S3 大友家 重臣 臼杵城 0.7万石 足軽 S4 大友家 重臣 臼杵城 2.0万石 足軽 S5 ― ― ― ― ― S6 大友家 重臣 臼杵城 0.5万石 足軽 ●略歴 _
?〜1588。1550年の菊池義武の反乱鎮圧、1557年の秋月氏との戦いに従軍する。1578年の「耳川の戦い」では、味方が敗走状態になる中、殿を務め、自らも生還した。さらに同年には、これらの功績によって加判衆に名を連ね、大友家家臣団の中でも最高峰の地位に上り詰めている。
1586年より島津軍が攻勢に出ると、息子の鎮実を含めた一族の多くが島津家に降伏し、あるいは寝返る中、鑑実は大友家に忠誠を尽くした。しかし、1588年になると、家中の失態を当主の大友義統に咎められ、自殺を命じられたため、これに従ったという。
_●ゲーム _
立花親子や高橋紹雲に比べると見劣りするものの、身分が安定して高いため、シナリオを問わずに使っていくことができる。特に、シナリオ6では前述の連中が全員立花家に移籍してしまっているため、正真正銘の大友家の武の中枢となる。
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●能力値 名前 一万田鎮実 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いちまだ・しげざね 能力値 C C C D 〇 生没年 1555〜1619 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1571年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 一万田? 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 30年後 重臣 ? 0.0万石 ? S2 11年後 重臣 ? 0.0万石 ? S3 大友家 部将 臼杵城 0.3万石 足軽 S4 大友家 部将 臼杵城 1.0万石 足軽 S5 ― ― ― ― ― S6 大友家 部将 臼杵城 0.2万石 足軽 ●略歴 _
?〜1587。一万田鑑実の息子。1568年の高橋鑑種の乱の鎮圧に従軍、翌年には、立花山城の城代として毛利軍と戦い、負傷したものの大友宗麟から感状を授けられた。しかし、1586年からの島津軍との戦いで島津軍に降伏したためか、その翌年に大友義統からの命によって自害した。
_●ゲーム _
未検証ではあるが、おそらく1571年に一万田鑑実の息子として誕生すると思われる。ただし、能力、身分共に平均的で見るべきところはない。
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●能力値 名前 一色頼母 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いっしき・たのも 能力値 C C E D 〇 生没年 1565〜1626 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1581年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 ― 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 ― ― ― ― ― S2 ― ― ― ― ― S3 ― ― ― ― ― S4 ― ― ― ― ― S5 中村家 重臣 駿府城 1.7万石 足軽 S6 ― ― ― ― ― ●略歴 _
1548〜1600。諱は「助義」。実際の氏は「野一色」。中村家の家臣。「豊家の変」では主家に従い、東軍に属する。1600年9月14日の「杭瀬川の戦い」では、西軍の挑発に乗り、陣営を出て西軍を追うが、西軍の島左近の配置した伏兵の逆襲を受けて戦死した。
_●ゲーム _
「シナリオ5では、中村家が大名をやっているため、数合わせとして登場した」という程度の扱い。「外交」は最低値であるため、基本的には内政要員である。史実はともかく、ゲーム中では 「大筒」を任せない限り、戦場に投入する必要はない。
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●能力値 名前 一色義清 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いっしき・よしきよ 能力値 C C B C ◎ 生没年 1549〜1613 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1565年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 一色 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 24年後 宿老 ? 0.0万石 ? S2 5年後 宿老 ? 0.0万石 ? S3 一色家 宿老 建部山城 3.2万石 足軽 S4 ― ― ― ― ― S5 ― ― ― ― ― S6 浪人 宿老 田辺城 0.0万石 足軽 ●略歴 _
?〜1582。義道の弟。丹波吉原城城主。1582年の時点で一色家の当主であった甥の義定は、「本能寺の変」後、明智光秀に味方したことから、羽柴方の細川幽斎に謀殺された。義清は、甥の死を知ると、彼の居城であった弓木城に入り、一色家の当主を称して幽斎との戦いを続けたが、最後には斬り込みをかけて戦死したという。
_●ゲーム _
能力的には一色家の外交担当と言ったところであるが、史実のどの点が評価されているのかは現状のところ不明。シナリオ6では宿敵細川家に居城を奪われ、一族揃って浪人をしているが、彼を「登用」するくらいであれば、 「戦闘」の高い義定を優先したい。
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●能力値 名前 一色義定 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いっしき・よしさだ 能力値 B C C D ◎ 生没年 1556〜1620 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1572年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 一色 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 31年後 宿老 ? 0.0万石 ? S2 11年後 宿老 ? 0.0万石 ? S3 一色家 宿老 建部山城 3.2万石 足軽 S4 ― ― ― ― ― S5 ― ― ― ― ― S6 浪人 宿老 田辺城 0.0万石 ? ●略歴 _
?〜1582。義道の息子。義道は、足利義昭を助けて織田信長と敵対したが、1579年に居城の建部山城を落とされ、自害して果てた。その際、義定は義道から家督を譲られて新たな一色家の当主となり、弓木城に籠って抵抗を続けた。その結果、攻め手の細川幽斎は、明智光秀の助言もあって講和を提案し、義定は幽斎の娘を娶ることで織田家に服属した。
織田家家中における義定は、1581年の京都御馬揃えの7番隊に参加し、1582年には、甲斐侵攻にも従軍している。しかし、この年に「本能寺の変」が勃発、義定は光秀に従ったが、間もなく光秀は羽柴秀吉に討たれ、幽斎が秀吉に服属したことから、義定は孤立することとなった。
同年9月、義定は幽斎に招かれて彼の居城である宮津城に入ったが、ここで幽斎によって暗殺された。義定の死後は、叔父の一色義清が後を継いで抗戦を続けたが、まもなく幽斎によって義清も攻め滅ぼされ、一色家は滅亡した。
_●ゲーム _
「勇戦したが、だまし討ちにあって殺された」という史実は、そのステータスに良く反映されている。一色家の戦闘担当と言いたいところであるが、「本能寺の変」直前のシナリオ4では、一色家そのものが存在を抹消されているため、実質的に一色家の家臣として登場するのはシナリオ3だけなのが難点である。
シナリオ6では、他の一色家の武将とともに浪人に落ちぶれている。しかし、「戦闘」が「B」の宿老であることから、非常に強力な戦闘要員となるため、最低でも5万石を与えられる余裕があれば、優先して 「登用」しておくべき存在である。
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●能力値 名前 一色義道 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いっしき・よしみち 能力値 C C C E ◎ 生没年 1518〜1579 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1534年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 一色 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 一色家 主君 建部山城 5.0万石 足軽 S2 一色家 主君 建部山城 7.5万石 足軽 S3 一色家 主君 建部山城 4.5万石 足軽 S4 ― ― ― ― ― S5 ― ― ― ― ― S6 浪人 宿老 田辺城 0.0万石 足軽 ●略歴 _
?〜1579。義清の兄、義定の父。1558年より一色家の当主となる。1571年、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、義道は彼らに接近し、1575年には、信長に協力して越前の一向一揆鎮圧に兵を出している。これにより、義道は丹後一国の領有を認められた。
しかし、その後、義道は信長と敵対し、1578年より明智光秀、細川幽斎らの攻撃を受けた。義道は抗戦したもの、光秀らの切り崩し工作によって兵が集まらず、建部山城も陥落したことから、山名家の庇護を求めて逃走した。しかし、その途上で逃げ場がなくなり、自害したという。死後は義定が後を継ぎ、織田家との戦いを続けることとなった。
_●ゲーム _
本作には父親の義幸が登場しないため、シナリオ1から一色家の当主となっている。1578年の織田家との戦いでは、謀略による切り崩しを受けて逃走せざるを得ない状況に追い込まれただけに、「謀略」は最低となっている。とは言え、他の能力も別に優れているわけではないため、基本的には後方担当である。一色家には、稲富親子や義定らの戦闘要員がいるため、義道の知行は彼らに振り分けてしまいたい。シナリオ6では浪人をしているが、特に 「登用」する必要はない。
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●能力値 名前 伊東重信 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いとう・しげのぶ 能力値 C C C C 〇 生没年 1553〜1617 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1569年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 ― 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 28年後 重臣 米沢城 0.0万石 足軽 S2 9年後 重臣 米沢城 0.0万石 足軽 S3 伊達家 馬廻 米沢城 0.2万石 足軽 S4 伊達家 組頭 米沢城 0.1万石 足軽 S5 ― ― ― ― ― S6 伊達家 部将 米沢城 0.1万石 足軽 ●略歴 _
?〜1588。陸奥国郡山城城主。伊達家に臣従する。1588年の「郡山の戦い」で戦死。
_●ゲーム _
シナリオが進むごとに着実に昇進を重ねているが、能力は凡庸。史実はともかく、本作では野戦に投入する必要性はない。
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●能力値 名前 伊東祐勝 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いとう・すけかつ 能力値 C D C D ◎ 生没年 1570〜1634 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1586年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 伊東 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 ― ― ― ― ― S2 26年後 宿老 ? 0.0万石 ? S3 15年後 宿老 ? 0.0万石 ? S4 4年後 宿老 府内城 0.0万石 ? S5 島津家 組頭 都於郡城 0.6万石 足軽 S6 宿老 ― ― ― ― ●略歴 _
1570〜1593。義益の息子。義賢の弟。産まれた年に父が死去したため、祖父の義祐に養育されるが、1577年に伊東家は島津家に滅ぼされたため、祐勝は義祐らに連れられて豊後の大友宗麟の元に落ち延び、その庇護を受けた。また、その間にカトリックに入信し、安土に建てられたセミナリヨでキリスト教を学んでいる。
1587年になると、羽柴秀吉に従っていた叔父の祐兵が伊東家を復興したため、祐勝は祐兵に従属した。1593年の「文禄の役」でも、祐勝は祐兵の指揮下に入ったが、現地で病を得て後送された。しかし、彼の乗った船は帰路に嵐に遭い、祐勝は長門に漂着したものの、病状の悪化により、間もなく死亡した。
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伊東義益の息子として登場するものと思われるが未確認。シナリオ5では、領土の関係で島津家の家臣となっている。島津家の家臣としては取るに足らない存在であるが、伊東家の家臣としては、穀潰しのようなものである。
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●能力値 名前 伊東祐兵 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣 読み いとう・すけたか 能力値 C C C C ◎ 生没年 1559〜1600 軍師 ― ― ― ― 顔 登場年 1575年 上昇 ― ― ― ― 汎用 血族 伊東 備考 ●シナリオ シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科 S1 34年後 宿老 ? 0.0万石 ? S2 15年後 宿老 ? 0.0万石 ? S3 4年後 宿老 ? 0.0万石 ? S4 浪人 宿老 堺城 0.0万石 足軽 S5 島津家 与力 都於郡城 1.4万石 足軽 S6 伊東家 宿老 都於郡城 1.0万石 足軽 ●略歴 _
1559〜1600。義祐の三男。1568年より飫肥城の城主となるが、1577年になると、島津軍の攻撃に耐えられなくなり、飫肥城を放棄して義祐のいる佐土原城に逃れた。しかし、家臣団の相次ぐ離反により、佐土原城も危うくなったため、義祐は豊後の大友宗麟のもとに逃れる決意をし、祐兵も父に従った。
伊東一族の亡命は、その翌年の「耳川の戦い」の一因ともなったが、この戦いは、大友軍の大敗に終わった。その後、義祐は豊後を出たため、祐兵も再び父に従って伊予、播磨などを転々とした。しかし、1582年には、当時播磨にいた羽柴秀吉の知遇を得て彼の家臣となり、「本能寺の変」以後は、「山崎の戦い」にも従軍している。1587年に秀吉が宗麟の要請を受けて九州に侵攻すると、祐兵は、その先導役を務めた。戦後は、その功績によって旧領を取り戻し、最終的には、飫肥3万6000石を領有した。
1592年からの「文禄の役」では、500人の兵を率いて他の九州諸侯らとともに四番隊として従軍、7月からは他の諸侯と別れ、鉄原を拠点としてゲリラ狩りを行った。さらに、10月19日には、ゲリラの拠点となっていた胡寧城を攻略し、敵将沈岱の首を取った。1597年からの「慶長の役」では、「文禄の役」と同じく、500の兵を率いて左軍の一員となり、南原城の攻囲戦や窮地に陥った蔚山城の救援などに従軍している。
1600年、「豊家の変」の直前の時点で祐兵は重病を患い、大阪で療養していた。そのため、石田三成らから参戦を要請されると、元々蜂起には反対だったこともあり、病気を理由として兵だけを出す一方、黒田官兵衛に相談して、徳川家康に渡りを付けようとした。この時、官兵衛からは、本国に戻るように勧められたが、やはり重病のためそれもできず、息子を帰して西軍の城を攻めさせることにした。祐兵本人は、その年の11月に死去したが、この工作が功を制して伊東家は所領を安堵された。
_●ゲーム _
シナリオ3までは伊東義祐の元で元服すると思われるが未検証。シナリオ4では浪人をしているが、平凡な能力の「宿老」を雇用する知行があるならば、もっと有効的に使いたいものである。ちなみに、上記の通り、実際は、この頃の祐兵は織田家に仕えていたようである。また、シナリオ5ではれっきとした独立大名であるはずが、領土の都合で島津家の傘下に収まっており、勢力としての伊東家は存在していない。
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