ハンドブック紹介

 

   提督の決断 ハンドブック 第4部 架空戦記  


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仮想戦記

●概要

 副題は「キーワードは指揮官と情報|連合艦隊ついに勝つ」。真珠湾攻撃とミッドウェイ海戦の第一艦隊司令官を南雲忠一から山口多聞に置き換えたという設定で、これらの戦いの過程を再検討する。

 確かに果断な山口であれば、しかるべき時により効果的な決断を下せた可能性はある。しかし、本項では、それによって生じるリスクは全く考慮されておらず、皮肉な見方をすれば、人事交代をしただけであらゆる要素が日本の有利に傾いている。その様は、ミッドウェイの開戦直前の図上演習において、日本に極めて有利な判定ばかりが下されたという逸話すら思い出させる。



真珠湾攻撃

●十二月八日午前10時。
  6隻の空母上に、真珠湾攻撃を終えた艦載機が次々と舞い降り、
  収容されていった(158ページ)


 史実における午前10時は、第二波攻撃隊の攻撃が終わった時刻である。後述することになるが、第二波攻撃隊が実際に収容されたのは12時ごろであり、山口艦隊と真珠湾の移動にかかる時間(*)を省略している可能性がある。

 ちなみに、真珠湾攻撃において時刻が表示されているのは、この箇所だけである。以下の条件より、時間的に第二次攻撃を行うのは難しいと思われるが、第二次攻撃をはじめた時刻も終わった時刻も、いずれもが不明となっている。



●各空母上では、再度の発艦に備えて、
  艦載機への再給油や
  爆弾・魚雷・弾薬の搭載作業が行われていた(159ページ)


 忘れがちであるが、艦載機の収容、補給、着艦作業にも時間がかかる(*)。そのうえで、もう一度真珠湾に向けて航空機を送り出すわけである。それにかかる時間は単純に推測することができないが、最低でも3時間30分はかかると予測される(*)。

 つまり、本項の想定の場合、第一次攻撃隊は10時に収容されているため、再攻撃の開始は1時以降となる。これだけの時間の猶予があれば、アメリカ軍も反撃体制を整えることは間違いないと思われる。

 さらに、その時間的猶予は、真珠湾に不在であったエンタープライズが近づいてくる可能性も高めている。つまり、山口艦隊は、反撃態勢の整った真珠湾基地に「強襲」を仕掛けつつ、どこから現れるかわからないアメリカ空母にも備える必要が生じてくることになる。

 また、戦闘そのものにかかる1時間(*)と第二次攻撃隊の帰投にかかる時間、そのうえに収容の時間も考慮に入れなくてはならない。上記の最短の想定で行けば、着艦は3時ごろとなるが、第一次攻撃と同じく攻撃を二波に分けるのであれば、さらに収容の時間は遅くなる。その間、山口艦隊は、敵地のど真ん中に滞在し続けることになる。



●「真珠湾を攻撃した日本艦隊を捜索せよ。
  その方角はハワイの南方海上(159ページ)」


 本項の想定では、エンタープライズ所属の「18機の爆撃機」が、見出しの命令を受けて真珠湾攻撃中の山口艦隊の捜索を行うが、発見できずに真珠湾に到着したところで日本の零戦隊の攻撃を受けて壊滅している。

 史実では、9時15分に南雲艦隊発見の報告(これは誤認だった)があり、12時29分には「雷撃機十八機、偵察爆撃機四機、戦闘機六機(*)」を報告の場所に出撃させている。もちろん南雲艦隊を発見できるはずはなく、ほとんどの機体はエンタープライズに帰還しているが、戦闘機6機のうち4機は真珠湾に向かったところで友軍の誤射を受け、4機が撃墜されている。

 史実において、この攻撃隊が南雲艦隊を発見できなかったことについては、もともとの情報が誤りであったこともあるが、南雲艦隊が第一次攻撃だけで切り上げ、撤収を開始したこととも無関係ではないと思われる。逆に言えば、本項の想定の場合、攻撃を続行する山口艦隊が襲撃を受けた可能性も、充分にあったと考えられるのである。

 本項の想定では、「18機の爆撃機」は索敵を失敗しているが、無数の可能性の中で、この選択肢が必然となる根拠はない。つまり、「18機の爆撃機」が山口艦隊を発見できた可能性もあれば、それが出撃準備中や第二次攻撃隊発艦後という都合の良い状況である可能性も存在するわけである。そのことからすると、この部分は「ご都合主義」と言う印象が強い。

 もちろん、山口艦隊にも直援隊がいることは間違いなく、この程度の戦力では何もできずに殲滅される可能性も高い。しかし、敵地に留まることは、攻撃を受けるリスクを覚悟することであり、南雲の選択は、そのリスクを完全に回避する手段であったことも忘れるべきではないと思われる。



●第二次攻撃隊は、対空砲火によって19機を失ったものの
  真珠湾の艦船修理施設と貯油施設、補給倉庫を破壊、炎上させ、
  新たに戦艦4隻を撃沈、飛行場施設を破壊!(159ページ)


 第二次攻撃の成果。完全な奇襲攻撃であった第一次攻撃ですら29機が撃墜され、74機が損傷しているというのに、まず間違いなく戦闘態勢を整えた敵基地を攻撃しを行って撃墜19機というのは、いくら何でも都合がよすぎると思われる。提督を南雲から山口に代えたというだけで、損害が減るというわけではないはずである。



●その母港である真珠湾を
  1年以上にわたって使用不能にした(159ページ)


 実際のところ、真珠湾の施設を破壊したとして、修復までにどの程度の期間が必要なのかという疑問は、こちらに提示した。これに関しては本当に分からないため、この「1年」という期間が妥当なのかも不明である。

 ちなみに、この後のミッドウエイ海戦では、史実通り珊瑚海海戦で大破し、応急処置で戦線に復帰したヨークタウンが登場する。史実では、この修理は真珠湾で行われたはずであるが、真珠湾の施設が破壊された本項においても、やはり修繕されて登場しているのである。

 ここはヨークタウンを登場させず、真珠湾での補修が行えないため、アメリカ本国に向かった、あるいは、その途上で損傷によって沈没したなどとした方が、真珠湾の施設を破壊したことによるメリットが直接的に表現できたのではないかと思われる。



ミッドウエイ海戦

●山口少将は、貴重な攻撃航空部隊から爆撃機を割いて
  周辺海域の偵察を行わせていた(160ページ)


 本項と史実における敵空母発見までの過程の相違は以下のとおりである。ここでは、本項の過程の方が、敵空母を発見するまでの時間が史実よりも50分短いことに注目したい。その理由が見出しのとおりである。

 この改変により、本項の想定では、第二次ミッドウェイ攻撃隊となるはずであった攻撃隊が敵空母を目指すこととなり、その結果として、史実で起こった第一次ミッドウェイ攻撃隊の着艦と第二次ミッドウェイ攻撃隊の発艦が重ならず、第一次ミッドウェイ攻撃隊もスムースに収容されている。

 実際、出撃前のミーティングでも、山口は索敵体制の不備を指摘していたらしい。しかし、艦隊の航空参謀である吉岡忠一は、ミッドウェイ攻撃のための機体を偵察に回せないこと、敵空母の出現は予想できないことを理由として挙げ、山口の進言を退けている。

 吉岡の索敵計画に問題があったことは事実であるが、そもそも、ミッドウェイ海戦の始点となった「MI作戦」自体が、「ミッドウェイ島を攻略し、反撃に向かってきた米機動艦隊を叩く」というものであり、米機動艦隊はミッドウェイ近辺に存在しないことが前提となっている。

 吉岡の索敵計画も、その前提に従ったものであるが、米機動艦隊は、はじめからミッドウェイ島付近で日本機動艦隊を待ち伏せており、日本側の作戦は、最初から破綻していた。そのため、個人的には、最も責任を問われるべきは、この作戦を立案した連合艦隊司令部であると思われる。

本項の過程
空母を含まない敵艦隊発見の報告
ミッドウェイ攻撃隊からの第二次攻撃要請
0730 敵空母発見、艦載機出撃

史実の過程
0700 ミッドウェイ攻撃隊からの第二次攻撃要請
0809 空母を含まない敵艦隊発見の報告
0820 敵空母発見



●第一次ミッドウェイ攻撃隊からは、
  第二次攻撃の必要ありとの報告が入った(162ページ)


 史実では、ここで南雲が第二次攻撃を優先し、兵装を転換させているが、本項の想定では、報告を無視して空母の撃滅を優先させている。結果論的な判断としては、もちろん本項の方が正しいと言えるが、そのためには、なぜ史実でミッドウェイ基地に攻撃を仕掛けたのかを考慮する必要がある。

 結果からすると、どうしても米空母に主眼が置かれてしまうが、本来の「MI作戦」は、ミッドウェイ島を攻略した後、米機動艦隊を攻撃するという構想である。つまり、ミッドウェイ島は日本軍の占領目標であり、実際に占領部隊が別行動でミッドウェイ島を目指していた。南雲艦隊としては、この部隊が到着する前に、ミッドウェイ島の航空戦力を殲滅しておく必要があったのである。

 しかし、その想定は、前述のとおり、米機動艦隊がミッドウェイ付近にいないことを前提としている。そうでなければ、第一次ミッドウェイ攻略隊を率いた友永丈市も、第二次攻撃を進言することはなかったと思われる。本項では、ミッドウェイ海戦の敗因を南雲の優柔不断に求めており、それも一理はあるが、個人的には、前述のとおり、作戦の段階で問題があったという印象がある。



●日本側では、山口少将に急降下爆撃機への準備を求められた
  戦闘機隊指揮官が、零戦防空隊を二つに分けて、
  空母周辺の低空と空母上空の高空に位置していた(162ページ)


 史実では、南雲艦隊の直援隊が低空より飛来したデヴァステーター艦上攻撃機を撃退した後、死角となった高空からドーントレス艦上爆撃機の攻撃を受けて空母3隻が戦闘機能を失っている。見出しの命令は、それを防ぐための伏線である。

 いくらなんでも後付けのご都合主義だと思うが、真珠湾攻撃におけるエンタープライズ爆撃隊の乱入や上記の索敵の重視についても、そう思っていたら元ネタがあった。もしかすると、これに関しても元になる発言があるのかもしれない。



●眼下では、日本の空母4隻が雷撃機の攻撃を避けて
  旋回しているのが見える(163ページ)


 マクラスキー(*)航空隊から見た山口艦隊の様子。史実のマクラスキー隊は、この後に急降下爆撃を成功させ、日本空母3隻に致命傷を負わせているが、本項の想定では、上空からの攻撃を見越した零戦隊に追い払われている。

 なお、史実の山口は、4月末日の「MI作戦」の打ち合わせにおいて、現状の艦隊編制を見直し、空母を基幹として、各艦船が空母を護衛するという編制に改めるように進言している(*)。

 これは史実では採用されず、見出しの表現を見る限り、本項にも取り入れられていないようである。しかし、「山口の先見性によって危機を回避した」ことを表すならば、史実の敗因となった戦闘を再現するよりも、この案を取り込んでいた方が良かったのではないかと思われる。



実際のミッドウエイ海戦

ただちに航空機を発進させて、敵空母を攻撃する要あり(164ページ)

 米機動艦隊を発見した際、史実の山口は南雲に対して見出しの進言を行い、準備のできた艦載機だけでも発進させるように求めた。本項では、この山口の果断を南雲の優柔不断さと対比させているが、それができない事情があったこともまた事実である。

 最大の問題点は、この時点で第一次ミッドウェイ航空隊約100機が上空待機していたことである。前述のとおり、着艦にも収容にもある程度の時間がかかるため、「直ちに航空隊」を発進」させた場合、第一次ミッドウェイ航空隊の燃料が尽きる可能性がある。その場合、南雲艦隊は一度に100機の航空機を失うことになってしまうため、こちらの収容を優先させたという事情がある。

 また、20〜30分前に攻撃を行っていたB-17の撮影した写真によると、蒼龍および飛龍の甲板にはほとんど艦載機が見られず、見出しの発言自体の信憑性が疑わしいとする説がある。仮に出撃準備が整えられていたとしても、零戦は相次ぐ敵の襲撃に対する直援に回されており、即座に出撃できるのは艦攻と艦爆だけになる。これを出撃させたとしても、敵の直援隊によって壊滅されることは間違いない(*)。



●南雲長官は、これを無視して航空機の武装変更作業に時間をかけ、
  そのうえ命令を二転三転させた(164ページ)


 「これ」とは、前述の山口の進言のことである。実際には、それより前の敵艦隊発見の報告が入った時点で兵装転換は中断されており、山口の進言があった時点では、第一次ミッドウェイ攻略隊の収容作業を検討していた。つまり、見出しは明らかな誤りである。



●そして、
  艦隊の将兵はミッドウエイ作戦の目的が航空艦隊の撃滅ではなく、
  ミッドウエイ島占領にあると思っていたのだった(164ページ)


 日本側の敗因として、本項では「上意下達が不完全で、目的がはっきりしない」ことを挙げており、その代表例が見出しのとおりである。一方、アメリカ側の意思が徹底されていたことを挙げ、「ド近眼の巨人と目の良い俊敏な戦士」として対比させている。

 確かに、アメリカ側の意志が徹底していたという点は、その勝因の中でも有力なものとして同意することができる。しかし、日本側の目的が分散していたという解釈には疑問が残る。

 つまり、ミッドウェイ島に対する攻撃は、米空母がいないという作戦の前提に基づいており、米空母発見後は、そちらに目標を移している。南雲艦隊が、ミッドウェイ島と米空母のどちらを優先していたかと言えば、米空母であることは間違いなく、目的は分散されていないと考えられるのである。



●作戦と実戦

 本項および本書の南雲批判は、行動指針としての作戦が完全に無視されているという点で問題があるように思える。真珠湾攻撃にせよミッドウェイ海戦にせよ、基本的に南雲は作戦に基づいて行動しており、それに問題があるならば、作戦の立案者や許可した者にも少なからず責任があることになる。しかし、本項では、それがすべて南雲一人の責任とされているように思えるのである。

 ミッドウェイ海戦については何度も触れているが、ミッドウェイ島攻撃から米機動艦隊発見までのゴタゴタは、そもそもが作戦の想定外である。それに対して柔軟に対処できなかった南雲の判断にも問題はあるが、作戦そのものの趣旨がアメリカ軍に完全に理解されていたことも忘れてはならない。

 一方、真珠湾攻撃の第一次攻撃は、作戦の完遂という観点から見た場合、ほぼ完璧ともいえるものである。本項ではミッドウェイ海戦の敗因として「上意下達の統一」、「目標の明確化」、「意志の徹底」などの欠如が挙げられているが、真珠湾攻撃の第一次攻撃では、そのすべてが「敵主力艦隊を撃滅」することに集約されており、だからこそ、目的を果たすことができたと言える。

 この視点に基づくならば、真珠湾への第二次攻撃が行われなかった理由も、第二次攻撃の計画がなかったからということで説明がつく。それは第二次攻撃の目標が空母と軍事施設にぶれ、その実施をめぐって論争が起こるという上意下達の崩壊があることからも明らかである。このような状態において「意志の徹底」を貫き、攻撃を切り上げた南雲の判断は、むしろ称賛されるべきものであるとさえ思える。

 少なくとも真珠湾攻撃においては、計画されたことを計画通りに実行した南雲の手腕は、批判されるべきことではないと思われる。空母を沈められなかったのは不手際であるが、これは南雲がどうにかできるレベルではない。むしろ、計画にないことを、その場のノリと勢いでやれという方に無理があり、ましてや、それをしなかったことを批判するのは、個人的には理不尽であると感じられる。
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