戦国夢幻

 

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   戦国夢幻 武将 い  
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●能力値
名前 伊丹康直 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いたみ・やすなお 能力値 D D D E
生没年 1523〜1596 軍師
登場年 1539年 上昇 汎用
血族 伊丹? 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 今川家 組頭 長篠城 0.3万石 足軽
S2 今川家 組頭 駿府城 0.3万石 足軽
S3 武田家 組頭 駿府城 0.6万石 足軽
S4 徳川家 組頭 駿府城 0.6万石 足軽
S5
S6 今川家 組頭 駿府城 0.3万石 足軽
●略歴
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 1522〜1596。一説によると伊丹親興の従弟にあたるが、細川京兆家の内紛から逃れて駿河に落ち延びたという。1558年より今川義元に仕え、義元の死後は、今川氏真のもとで今川水軍を編成した。

 今川家が武田家に滅ぼされると、康直は武田信玄に仕え、武田水軍の創設に貢献、1569年には清水康秀率いる北条水軍を撃破している。1582年に武田家が滅亡したのちは徳川家の家臣となり、駿河の御船奉行となった。
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●ゲーム
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 伊丹親興とは血縁関係にある可能性も考えられるが、詳細は不明。能力は凡将以下であるが、上記のように一応戦闘の実績もあり、水軍を利用した貿易や輸送業務なども担当していたことから、 「戦闘」や「内政」は、せめて人並であっても良いように思われる。
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●能力値
名前 市川玄東斎 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いちかわ・げんとうさい 能力値 D C B C
生没年 1516〜1580 軍師
登場年 1532年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1
S2 里見家 家老 久留里城 1.3万石 足軽
S3 里見家 家老 久留里城 1.3万石 足軽
S4
S5
S6
●略歴
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 生没年不詳。1569年に上杉家と北条家の間で「越相同盟」が締結された際、武田信玄は、北条家と対立する里見家と「甲房同盟」を結ぶことで、北条家を牽制しようとした。この際、玄東斎は里見側の代表として武田家と交渉を行ったという。
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●ゲーム
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 Wikipediaや手持ちの書籍には名前が見られない武将である。上記の経歴については、「戦国武将録」というブログを参照した(問題のある行動である場合、こちらにご連絡ください)。

 その経歴通り、「外交」が高い。実際に里見家でゲームを始めると、北条家との交戦中に東の佐竹家がちょっかいを出してくることが多いため、その押さえに回るのが順当な使い道であると思われる。
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●能力値
名前 市川経好 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いちかわ・つねよし 能力値 E B D C
生没年 1533〜1582 軍師
登場年 1549年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 8年後 奉行 0.0万石 足軽
S2 毛利家 重臣 山口城 2.0万石 足軽
S3 毛利家 奉行 山口城 4.0万石 足軽
S4 毛利家 奉行 山口城 4.0万石 足軽
S5
S6 毛利家 奉行 広島城 0.2万石 足軽
●略歴
 
 ?〜1584。安芸吉川氏の一族であるが、毛利元就の次男元春を当主に据えるのに功績があった。1557年より周防国高嶺城城代となり、奉行として旧大内家領の山口を管理した。

 1569年、経好は豊後に遠征していたが、その間に高嶺城が大友家の支援を受けた大内輝弘の攻撃を受けた。しかし、これは経好の妻の指揮で撃退されている。

 1577年、先の婦人の功績が認められ、経好は輝元から感状を授けられた。しかし、その翌年には長男の元教が大友宗麟と内通し、高嶺城の占拠を目論んだため、経好は元教を殺害している。
 
●ゲーム
 
 山口奉行としての実績が評価されたためか、「内政」は高い。また、身分も高く、特にシナリオ3や4では最初から高い知行を持っているが、 「戦闘」が「E」と低く、宝の持ち腐れに等しいのが残念である。
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●能力値
名前 一条内政 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いちじょう・ただまさ 能力値 C D E C
生没年 1557〜1580 軍師
登場年 1573年 上昇 汎用
血族 一条 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1
S2 13年後 宿老 中村城 0.0万石 足軽
S3 2年後 宿老 中村城 0.0万石 足軽
S4
S5
S6
●略歴
 
 生没年不詳。兼定の長男。政親の父。父が長宗我部元親によって土佐から追放されると、元親によって土佐一条家の当主に据えられるが、1580年代初頭に土佐から追放される。伊予に落ち延びた内政は、この地で病死したとも、元親の手によって暗殺されたとも言うが、その最期には諸説があり、現在でもはっきりとはしていない。
 
●ゲーム
 
 シナリオ3では2年後に登場するが、ただでさえ知行の少ない一条家に対して大量の知行を要求する穀潰しである。他の勢力であれば、無論見向きもする必要はない。
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 ●能力値
名前 一条兼定 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いちじょう・かねさだ 能力値 D E E D
生没年 1543〜1585 軍師
登場年 1559年 上昇 固有
血族 一条 備考  
 ●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 18年後 宿老 中村城 0.0万石 足軽
S2 一条家 主君 中村城 1.5万石 足軽
S3 一条家 主君 中村城 1.4万石 足軽
S4 浪人 与力 中村城 0.0万石 足軽
S5
S6 一条家 宿老 中村城 1.2万石 足軽
 ●略歴
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 1543〜1585。房基の息子。内政の父。1549年、父の死に伴い、6(数え年で7)歳で土佐一条家の当主となる。そのため、実質的に土佐一条家は、叔父の康政(現在では別人説もある)によって運営されていたが、この体制は、兼定が成長しても変わることがなく、兼定の名による公文書は1通もないと言われている。

 当時の一条家は、伊予に勢力を拡大しつつあり、伊予宇都宮家と同盟して河野家および伊予西園寺家と交戦中であった。そのため、兼定は1558年に伊予宇都宮家当主の宇都宮豐綱の娘を娶って関係を強化した。

 一方、土佐国内では、長宗我部元親と安芸国虎の間で対立があり、1563年には国虎が元親の本拠地である岡豐城を襲撃した。兼定は、妹の婿である国虎に兵を送って支援したが、国虎が劣勢になると、、両者を仲裁し、講和の仲立ちをした。

 1564年になると、兼定は、伊予に進出した大友家との関係を強化するために豐綱の娘を離縁し、あらたに大伴宗麟の娘を娶った。また、土佐国内では、元親が弟を人質に送って臣従を誓い、その助力を得て、本山茂辰に占領されていた蓮池城の奪還にも成功した。

1568年、兼定は伊予に侵攻し、毛利家の後ろ盾を得た河野家と戦うが、「鳥坂の戦い」に敗れて大きな損害を出し、当時急成長を遂げていた元親の自立をうながすこととなった。
 
 ●没落と再起、そして晩年
 
_1569年、蓮池城で反乱が起こり、それに乗じて元親が一条領に侵攻した。兼定が抗議すると、元親は起請文を送って謝罪したが、その間も進撃は止まらず、一条家に属する諸城は次々と陥落した。

 この侵攻は1571年まで続いたが、1572年からは、西園寺家公広が伊予から攻勢に出た。兼定は宗麟の救援を得て撃退に成功し、講和して長宗我部の侵攻に備えた。しかし、1573年になると、兼定は家臣たちより隠居を迫られ、土佐一条家の当主の地位を息子の内政に譲った。ただし、それが一条家の本家である京都一条家の意向であるとする説もある。

 いずれにせよ、その翌年に兼定は土佐を追われ、妻の実家である豊後の大友家に身を寄せた。また、この間に義父の宗麟の影響を受け、カトリックに入信している。1574年、兼定は宗麟の支援を受けて四国に再上陸し、再起を図った。土佐の親一条派の諸侯は彼に同調し、その兵力は3000人ほどになったと言う。

 この軍勢をもって兼定は、一度本拠地であった中村城を奪還しているが、元親が7000以上の兵を集めて反撃に転じると、後退して四万十川を防衛線とした。両軍は7月に四万十川で衝突したが、それ以前より、兼定は水底に杭を打ち付け、渡河を阻む措置を取っていた。しかし、上流の浅瀬から渡河に成功した別動隊の攻撃を受けて敗れ去り、伊予に逃亡した。

 瀬戸内海の戸島に隠棲した兼定は、宣教師と対話したり、元親の刺客に命を狙われたりしながらも、再起の時を伺っていた。しかし、1585年、ちょうど元親が戸島周辺まで勢力を拡大した時期と前後して、兼定は病死した。
 
 
 ●ゲーム

 本作に限らず、戦国時代を舞台にしたゲームでは、トップクラスの愚物として登場することが多い。もちろん、本作においても、それは例外ではなく、下には下がいるものの、かなりの低能力である。シナリオ2とシナリオ3では、「主君」であるが、その知行は、「登用」した優秀な部下に気前よくくれてやりたい。

 このような愚物のイメージは、長宗我部元親の侵攻を受けながら遊興に耽り、諫言した家臣を殺したことなどによるものであると思われる。しかし、こうした描写は『土佐物語』などのフィクション要素の強い資料によるものであり、それが彼の実像であるかというと、疑わしい部分も多い。

 それと言うのも、外交面では伊予の宇都宮、豊前の大友、土佐の安芸などの諸勢力と連携に成功し、軍事面では負け戦が目立つものの、伊予や土佐で数度の戦いを経験しているためである。そのすべてが彼の判断によるものであるかどうかは疑問であるが、少なくとも没落後、大友家の支援を得て土佐に侵攻したことについては、最低限の評価が下されても良いように思われる。

 ただし、軍事、外交、謀略のすべての面において、元親にいいようにやられたことも事実であり、最大限に評価しても人並みにしかならないことも事実である。そうなれば、現状の彼の強烈な個性も失われることになり、ゲームのキャラクターとして、それが正しいのかどうかは、非常に難しいところである。
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 能力値
名前 一条信龍 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いちじょう・のぶたつ 能力値 C C C C
生没年 1528〜1582 軍師
登場年 1544年 上昇 汎用
血族 甲斐武田 備考 武田二十四将 
 シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 3年後 宿老 躑躅ヶ崎館 0.0万石 足軽
S2 武田家 宿老 躑躅ヶ崎館 1.4万石 足軽
S3 武田家 宿老 躑躅ヶ崎館 1.6万石 足軽
S4
S5
S6 武田家 家老 新府城 1.1万石 足軽
 略歴
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 ?〜1582。武田信玄、信繁、信廉らの異母弟。鎌倉時代に断絶していた甲斐一条家を継ぎ、駿河方面の守りを担当する。1575年には「長篠の戦い」に従軍するが、退却に成功し、生き延びている。

 1582年より駿河方面が徳川軍の攻撃にさらされると、信龍は後退して居城の上野城に籠ったが、最後には打って出て戦死した。ただし、その後に処刑されたとする説や、それ以前に病死していたという説もある。
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 ゲーム
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 れっきとした武田一族であるが、その能力は一条氏の中にあっても違和感がない。要するに大した能力値ではないということであるが、逆に弱点もないため、裏方としてはそれなりに働くことができる。
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●能力値
名前 一条房基 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いちじょう・ふさもと 能力値 C C B D
生没年 1522〜1571 軍師
登場年 1538年 上昇 汎用
血族 土佐一条 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 一条家 主君 中村城 1.4万石 足軽
S2
S3
S4
S5
S6 一条家 主君 中村城 1.7万石 足軽
●略歴
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 1522〜1549。兼定の父。1541年に家督を継ぎ、土佐一条氏の第4代目の当主となる。土佐東部および伊予南部に領土を拡張する一方、土佐国内の有力豪族である長宗我部家と本山家を縁組させ、対立状態を緩和するなど、土佐一条家の存在感を周囲に知らしめたが、1549年に突如自殺する。精神を病んだためと言われているが、暗殺説もある。
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●ゲーム
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 本作に登場する一条氏の中では、唯一「B」の能力を持つ(一条信龍を含めても)。その「外交」の高さを活かして、優秀な人材をスカウトしたいところであるが、一条家の石高は著しく低いため、人材を確保しても与える知行がないと言う状況になりがちである。
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●能力値
名前 一条政親 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いちじょう・まさちか 能力値 C D D D
生没年 1577〜1641 軍師
登場年 1593年 上昇 汎用
血族 土佐一条 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1
S2 33年後 宿老 中村城 0.0万石 足軽
S3 22年後 宿老 中村城 0.0万石 足軽
S4 11年後 与力 中村城 0.0万石 足軽
S5
S6
●略歴
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 1578〜?。内政の子。父が追放された後、長宗我部家の家臣に養育される。「関ヶ原の戦い」後の不手際によって長宗我部家が改易されると、いずこかに落ち延びたと言われるが、詳細は不明である。
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●ゲーム
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 彼の登場を確認するためには、最短のシナリオ4でも10年以上ゲームを続ける必要がある。もちろん、そのようなことをしてまでして、彼を見つけ出す必要性はまったくない。
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●能力値
名前 一条康政 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いちじょう・やすまさ 能力値 D C D D
生没年 1549〜1613 軍師
登場年 1565年 上昇 汎用
血族 土佐一条 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 24年後 宿老 中村城 0.0万石 足軽
S2 5年後 家老 中村城 0.0万石 足軽
S3 一条家 家老 中村城 0.6万石 足軽
S4 浪人 部将 中村城 0.0万石 足軽
S5
S6 一条家 宿老 中村城 1.2万石 足軽
●略歴
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 生没年不詳。土佐一条家に仕え、兼定の時代には、幼少の兼定に代わって家政を取り仕切った。1573年に兼定が土佐を追放され、1574年に舅の大友宗麟の助力を得て土佐に侵攻するまで彼に従うが、その敗北以後の動向は不明である。

 なお、現在に残る文書では、彼の表記は「康政」としか記されておらず、一条家の一族であるかどうかも不明である。一般的には、房基の弟と見なされているが、京都の醍醐源氏の一族であり、源康政が正しい名であるとする説もある。
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●ゲーム
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 ゲーム中では、土佐一条家の一族として登場する。「内政」だけがかろうじて人並みなのは、兼定の代わりに家中を動かしていたことによるものと思われる。シナリオ4では浪人となっているが、 「登用」する必要はない。
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●能力値
名前 伊地知重秀 能力 戦闘 内政 外交 謀略 忠臣
読み いじち・しげひで 能力値 C C D D
生没年 1528〜1580 軍師
登場年 1544年 上昇 汎用
血族 備考  
●シナリオ
シナリオ 所属勢力 身分 居城 初期知行 兵科
S1 3年後
S2 肝付家 部将 高山城 0.2万石 足軽
S3 肝付家 部将 高山城 0.3万石 足軽
S4
S5
S6 肝付家 部将 高山城 0.3万石 足軽
●略歴
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 ?〜1594。島津家家臣。島津義久の奏者を務める。主に外交面での働きが見られるが、大友宗麟や竜造寺隆信との戦いにも従軍した。
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●ゲーム
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 ゲーム的には二流の内政官と言ったところである。身分が低いため、とりあえず 「登用」しても邪魔にはならない。また、 「戦闘」も「C」であるため、気分が向いたら 「大筒」を任せてみても良いかもしれない。

 なお、「伊地知重秀」と言う人物についての略歴は上記の通りであるが、ゲームで設定された生没年と所属勢力からすると、この人物は「伊地知重興(いじち・しげおき)」であると思われる。

 伊地知重興は、元々島津家に従っていたが、後に肝付兼続らと手を組み、島津家と敵対した人物である。その後、1574年に島津家に降伏し、所領の一部のみの領有が認められている。その後は、再び島津家家臣として伊東家や大友家との戦いに従軍したという。
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