| ●能力値 |
| 名前 |
一条兼定 |
能力 |
戦闘 |
内政 |
外交 |
謀略 |
忠臣 |
| 読み |
いちじょう・かねさだ |
能力値 |
D |
E |
E |
D |
◎ |
| 生没年 |
1543〜1585 |
軍師 |
― |
― |
― |
― |
顔 |
| 登場年 |
1559年 |
上昇 |
― |
― |
― |
― |
固有 |
| 血族 |
一条 |
備考 |
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| ●シナリオ |
| シナリオ |
所属勢力 |
身分 |
居城 |
初期知行 |
兵科 |
| S1 |
18年後 |
宿老 |
中村城 |
0.0万石 |
足軽 |
| S2 |
一条家 |
主君 |
中村城 |
1.5万石 |
足軽 |
| S3 |
一条家 |
主君 |
中村城 |
1.4万石 |
足軽 |
| S4 |
浪人 |
与力 |
中村城 |
0.0万石 |
足軽 |
| S5 |
― |
― |
― |
― |
― |
| S6 |
一条家 |
宿老 |
中村城 |
1.2万石 |
足軽 |
| ●略歴 |
_
1543〜1585。房基の息子。内政の父。1549年、父の死に伴い、6(数え年で7)歳で土佐一条家の当主となる。そのため、実質的に土佐一条家は、叔父の康政(現在では別人説もある)によって運営されていたが、この体制は、兼定が成長しても変わることがなく、兼定の名による公文書は1通もないと言われている。
当時の一条家は、伊予に勢力を拡大しつつあり、伊予宇都宮家と同盟して河野家および伊予西園寺家と交戦中であった。そのため、兼定は1558年に伊予宇都宮家当主の宇都宮豐綱の娘を娶って関係を強化した。
一方、土佐国内では、長宗我部元親と安芸国虎の間で対立があり、1563年には国虎が元親の本拠地である岡豐城を襲撃した。兼定は、妹の婿である国虎に兵を送って支援したが、国虎が劣勢になると、、両者を仲裁し、講和の仲立ちをした。
1564年になると、兼定は、伊予に進出した大友家との関係を強化するために豐綱の娘を離縁し、あらたに大伴宗麟の娘を娶った。また、土佐国内では、元親が弟を人質に送って臣従を誓い、その助力を得て、本山茂辰に占領されていた蓮池城の奪還にも成功した。
1568年、兼定は伊予に侵攻し、毛利家の後ろ盾を得た河野家と戦うが、「鳥坂の戦い」に敗れて大きな損害を出し、当時急成長を遂げていた元親の自立をうながすこととなった。
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| ●没落と再起、そして晩年 |
_1569年、蓮池城で反乱が起こり、それに乗じて元親が一条領に侵攻した。兼定が抗議すると、元親は起請文を送って謝罪したが、その間も進撃は止まらず、一条家に属する諸城は次々と陥落した。
この侵攻は1571年まで続いたが、1572年からは、西園寺家公広が伊予から攻勢に出た。兼定は宗麟の救援を得て撃退に成功し、講和して長宗我部の侵攻に備えた。しかし、1573年になると、兼定は家臣たちより隠居を迫られ、土佐一条家の当主の地位を息子の内政に譲った。ただし、それが一条家の本家である京都一条家の意向であるとする説もある。
いずれにせよ、その翌年に兼定は土佐を追われ、妻の実家である豊後の大友家に身を寄せた。また、この間に義父の宗麟の影響を受け、カトリックに入信している。1574年、兼定は宗麟の支援を受けて四国に再上陸し、再起を図った。土佐の親一条派の諸侯は彼に同調し、その兵力は3000人ほどになったと言う。
この軍勢をもって兼定は、一度本拠地であった中村城を奪還しているが、元親が7000以上の兵を集めて反撃に転じると、後退して四万十川を防衛線とした。両軍は7月に四万十川で衝突したが、それ以前より、兼定は水底に杭を打ち付け、渡河を阻む措置を取っていた。しかし、上流の浅瀬から渡河に成功した別動隊の攻撃を受けて敗れ去り、伊予に逃亡した。
瀬戸内海の戸島に隠棲した兼定は、宣教師と対話したり、元親の刺客に命を狙われたりしながらも、再起の時を伺っていた。しかし、1585年、ちょうど元親が戸島周辺まで勢力を拡大した時期と前後して、兼定は病死した。
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| ●ゲーム |
本作に限らず、戦国時代を舞台にしたゲームでは、トップクラスの愚物として登場することが多い。もちろん、本作においても、それは例外ではなく、下には下がいるものの、かなりの低能力である。シナリオ2とシナリオ3では、「主君」であるが、その知行は、「登用」した優秀な部下に気前よくくれてやりたい。
このような愚物のイメージは、長宗我部元親の侵攻を受けながら遊興に耽り、諫言した家臣を殺したことなどによるものであると思われる。しかし、こうした描写は『土佐物語』などのフィクション要素の強い資料によるものであり、それが彼の実像であるかというと、疑わしい部分も多い。
それと言うのも、外交面では伊予の宇都宮、豊前の大友、土佐の安芸などの諸勢力と連携に成功し、軍事面では負け戦が目立つものの、伊予や土佐で数度の戦いを経験しているためである。そのすべてが彼の判断によるものであるかどうかは疑問であるが、少なくとも没落後、大友家の支援を得て土佐に侵攻したことについては、最低限の評価が下されても良いように思われる。
ただし、軍事、外交、謀略のすべての面において、元親にいいようにやられたことも事実であり、最大限に評価しても人並みにしかならないことも事実である。そうなれば、現状の彼の強烈な個性も失われることになり、ゲームのキャラクターとして、それが正しいのかどうかは、非常に難しいところである。
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