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      基本データと本書の構成 
       
      ●概要 
       
       本書の「種牡馬データリスト」のコメントのうち、印象に残ったものを抜粋した。なお、文章冒頭の「H」は「ハンドブック(Hand book)」からの解説の抜粋、「P」は個人的的見解(personal view)を意味する。 
       
       
       
      ●本項の構成 
       
      
       
       
       
      ●備考 
       
       表のリンク先では、各項の注目点をまとめている。また、リンク先のタイトル部分のリンクは、上の表に戻るためのリンクである。 
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      ●アルカング(79ページ) 
       
      H93年のBCクラシックで単勝134.6倍という超大穴配当を爆発させた。フランスのアンリ・ファーブル調教師の管理馬で、欧州調教馬としては初めてのBCクラシック(ダート2000m)制覇。人気薄のダートでは要注意。 
       
       
       
      P調教師の名に誤りがある。「アンドレ・ファーブル(Wikipedia)」が正しい。「アンリ・ファーブル」では昆虫学者になってしまう。 
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      ●オサイチジョージ(82ページ) 
       
      HGT・GUクラスでは堅実な脇役をつとめていたはずのオサイチジョージが、宝塚記念で単勝1.2倍、断然1番人気のオグリキャップを3馬身ちぎって捨てる憎まれ役へと華麗なる転身。油断大敵、裏切り注意! 
       
       
       
      P良く考えれば、ファンの期待を裏切ったのはオグリキャップなのではないかと思われる。ちなみに、オサイチジョージは1999年より「用途変更」として消息を絶っている。馬肉にされたのではないかともっぱらの噂である。 
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      ●クリスタルグリッターズ(85ページ) 
       
      H4、5歳時にフランスのGTイスパーン賞を連覇するなど、国内ではそれなりの成績を残しているが、国際級にまでは成長しなかった。種牡馬成績も非常によく似た傾向がある。クズはないけどGT級も、ない。 
       
       
       
      Pフランス馬なので「国内」とはフランスのことである。産駒には『ウイニングポスト4ハンドブック上』で特集が組まれたアブクマポーロや、マチカネフクキタルがいる。ちなみに、いずれの競走馬も本書の刊行後、GTに勝利している。 
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      ●コタシャーン(86ページ) 
       
      HもはやあのジャパンC、K.デザーモ騎手の「ゴール誤認大チョンボ事件」なしには語れまい。ミルリーフ系系GT種牡馬の看板よりも「れれれのレ? 止まっちゃったよ」の方が人の記憶には残るものなのだ。とほほ。 
       
       
       
      P「スーパーガイドブック」や『ウイニングポスト3大事典』でも、「ゴール誤認大チョンボ事件」がネタとして取り上げられている。しかし、その一方では薬物投与疑惑という暗い逸話もある。 
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      ●サクラショウリ(87ページ) 
       
      Hピンクの勝負服で初めてダービーを制し府中市民を大歓喜させた馬。種牡馬としても忘れたころに大物を出す油断のならない親父ぶり。ひょっとするとあのサムソンビッグだってもう1回くらい化けるかもしれない。 
       
       
       
      Pサムソンビッグは産駒。「もう1回」の1回目は「きさらぎ賞」で勝利したことと思われる。本書が出版された1996年、サムソンビッグは「障害未勝利戦ではいきなりレコードタイムで圧勝」し、まさしく「もう1回」化けた。しかし、その後は振るわず、去勢されて乗馬となったようである。生涯成績は35戦4勝。 
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      ●スーパークリーク(91ページ) 
       
      H武豊にGT初タイトルをプレゼントした馬、という評価が消える日はなかなか来そうにない。どこから見ても立派な長距離馬血統、産駒が勝ち上がるのは4歳からと割り切ったほうがきっと幸せ(それにしても晩成だ)。 
       
       
       
      P「天才騎手・武豊が最も愛した馬?」。武豊には「GT初タイトル(菊花賞)」以外にも有馬記念、ジャパンカップ、天皇賞(秋)、天皇賞(春)など様々な勝利をプレゼントしており、「オグリキャップやイナリワンとともに『3強』時代を築き上げていった」。「武豊にGT初タイトルをプレゼントした馬」にとどまる存在ではないように思われる。 
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      ●スマコバクリーク(92ページ) 
       
      H父は話題の種牡馬ミスタープロスペクター、母系はカナダのチャンピオンが並ぶ名門。競争成績はともかく種牡馬としては期待がかかる1頭。ただし最近の円高による外国種牡馬輸入ラッシュで、はっきりいって影が薄い。 
       
       
       
      P血統の割に種付け料が安いことから人気であったらしいが、「名前が変」、「死因が腹上死」といった、種牡馬の能力とはあまり関係がないところで話題になることが多いようである。 
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      ●スリルショー(92ページ) 
       
      H派手さはないが着実に稼ぐ。しかも種付け料はそこそこ。生産者にとってこれほどありがたい種牡馬はそうはいないだろう。新馬戦でも信頼できるまさにお買い得種牡馬である。が、「G1」の勲章は遠い……。 
       
       
       
      Pおそらく、「序盤の友」的な位置づけの種牡馬なのではないかと思われる。こうした役割の種牡馬が高く評価されるのは珍しい。 
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      ●ダイナガリバー(93ページ) 
       
      H牡馬にしては珍しく早い時期から期待され、かつ活躍することのできたノーザンテースト産駒である。G1ホース続出の社台ファームであってさえ彼が初のダービー馬だったのだ。しかし父似の白い顔にはビビる。 
       
       
       
      P顔は縦に太い白筋(流星)が入っている。画像などを見ればわかるが、確かに父親似である。 
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      ●ナリタブライアン(97ページ) 
       
      H勝つたびに着差が開いていったクラシック三冠のレースっぷりはまさに“怪物”。日本の馬では相手にならないと思われたが、股関節炎を患ってからは精彩を欠いている。1日も早く復調してほしいものである。 
       
       
       
      P股関節炎の発症が判明したのは1995年4月7日。それまでの成績は15戦11勝。復帰後の成績は6戦1勝で、復調は果たされないまま引退したと言える。 
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      ●ハクタイセイ(99ページ) 
       
      H3歳7月に小倉で早々とデビューしておきながらもたもたと勝ち切れず、5戦目10月末の京都で初の白星。その後も裏街道を専門に星を稼いで気がつけば皐月賞で6連勝達成という、地味なんだか派手なんだか。 
       
       
       
      P通称「白いハイセイコー」。地味か派手かと言えば、通称があり、語りつがれるエピソードがある分だけ派手な部類に入ると思われる。 
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      ●ビワハヤヒデ(101ページ) 
       
      H皐月、ダービー2着まではデカイ顔を笑われ、“イマイチ君”の評価が抜けなかったが、菊花賞を制してついに主役へ。「強すぎてつまんない」と言われるまでに成長した。屈腱炎で引退し、兄弟対決が夢となったのは残念だ。 
       
       
       
      P「兄弟」は、異父弟のナリタブライアンのことらしい。 
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      ●フジキセキ(102ページ) 
       
      H無敗で3歳チャンプになり4歳初戦の弥生賞でも強い勝ちっぷり。今年のクラシックはきまり、と思った瞬間屈腱炎でやむなく引退。あっというまに種牡馬になってしまった。ホントなら一番強いのは彼だったのに……。 
       
       
       
      P種牡馬としてはGI級競走優勝馬8頭を輩出した。また、「産駒の通算JRA勝利数、通算JRA重賞勝利数は内国産種牡馬の歴代トップ」である。種牡馬としても「一番強い」のを証明したわけである。 
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      ●マークオブディスティンクション(105ページ) 
       
      H三大根幹馬ゴドルフィン・アラビアンに遡ることのできる、ゲーム内唯一の貴重な種牡馬。実際には日本ではなかなか成功できず、後継は海外からの輸入に頼っている状況だが、1頭くらいはその血を盛り上げてほしいもの。 
       
       
       
      Pマークオブディスティンクションは、本書が出版された1996年に死亡している。産駒としてはホッカイルソーがいるが、その産駒は大成せず、事実上血統は途絶えたようである。 
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      ●メジロライアン(107ページ) 
       
      H菊花賞のゴール前、「メジロはメジロでもマックイーンの方だ!」の一言が彼の運命を物語っている。GTクラスでいい勝負をしながらも最後のひと踏ん張りが効かなかった、人の良いお坊ちゃま、それが彼。 
       
       
       
      P「メジロはメジロでもマックイーンの方だ!」の菊花賞(1990年)では、1番人気であったが、4番人気のマックイーンに敗れている。現在の評価ではマックイーンの方が上であるため、この事情を知らないと当然のことを言っているだけの解説になってしまう。 
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      ●メリーナイス(108ページ) 
       
      Hお騒がせ、といえばもちろんこの馬も忘れられない。映画『優駿』の主役の座を手にしたほどの実力がありながら、暮れの有馬記念では3番人気に推される中、スタート直後に落馬。とかく話題に事欠かない馬だった。 
       
       
       
      P1987年の日本ダービーは、そのまま『優駿』に使われるはずであった。本来、『優駿』の主役と見込まれていたのは本命のマティリアルであり、それを前提とした準備もなされていたが、その中でメリーナイスは圧倒的な勝利を飾った。まさに「実力でもぎ取った」と言うのにふさわしいエピソードである。 
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      ●ヤエノムテキ(108ページ) 
       
      H四白流星の派手なルックスでの登場はメリーナイスとよく似ている。ついでに言うなら有馬記念で騎手を振り落すアクションを披露したところまでそっくり(落馬でなく放馬だけど)。そこまで似なくても……。 
       
       
       
      Pメリーナイスとは血統的な関係はない。ちなみに、メリーナイスはスタート直後に競走中止となったが、ヤエノムテキは、そのまま出走している。このレースがヤエノムテキの引退試合となったが、結果は7着に終わった。 
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      ●ヤマニンスキー(109ページ) 
       
      Hはっきり言って競争成績は二流。おんなじ配合パターンのマルゼンスキーとはまさに雲泥の差である。しかし種牡馬入りしてからはそれを逆手にとって大成功。種付け料も本家の半額なので、たまにはこちらも試してね。 
       
       
       
      P中央競馬では条件馬から脱せなかったヤマニンスキーが種牡馬になれたのは、ひとえに血統のおかげであるという。種牡馬としては上述のヤエノムテキを輩出している。 
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      ●リファーズウィッシュ(111ページ) 
       
      Hトライアルレースでは勝つけれど本番では及ばず。底力不足の典型的なイマイチ君ぶりを発揮するその姿は、産駒のウィッシュドリーム君にも遺伝してしまったようである。丈夫で真面目ないい奴なんだけど。 
       
       
       
      P「底力不足」は「勝負根性」が「C」、「丈夫」は「体力」が「A]ということ。ウィッシュドリームもGVを2勝したものの、あまり振るわないまま引退し、種牡馬にはなれずに乗馬となった。 
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      ●ロドリゴデトリアーノ(112ページ) 
       
      H舌を噛みそうな名前は、アメリカ大陸発見の功労者コロンブスの部下にちなんでのもの。英の3歳チャンピオンで、あのL.ピゴット騎手に30勝目となるクラシック(2000ギニー)をプレゼントした馬でもある。 
       
       
       
      P区切りを入れると「ロドリゴ・デ・トリアーノ」となる。名前の由来となる人物は、『大航海時代V』において「ロドリゴ=デ=トリアーナ」として登場していた。部下にすることもできるが、能力は低く役には立たなかった。 
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      ●ワッスルタッチ(112ページ) 
       
      H510万ドル(当時のレートで約12億2000万円」で落札された、超のつく良血馬。アルマムードの3×3で、兄はケンタッキー・ダービー馬、叔父は名種牡馬ヘイローとなれば、自身の戦績なんてたいしたことじゃないです、ハイ。 
       
       
       
      P「兄はケンタッキー・ダービー馬」はキャノネイドのこと。前述のヤマニンスキーと似たような境遇であるが、ヤマニンスキーにとってのヤエノムテキほど有力な競走馬は出ていないようである。 
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