提督の決断2 提督の決断II 

 ハンドブック紹介

 

    提督の決断U ハンドブック 第二部  


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●概要

 本書では、シナリオの歴史的背景の解説と初期戦略を別に扱っており、本項では歴史的背景の解説を行っている。しかし、歴史的背景の再現を確認しやすいという意味では、まとめてくれた方が見やすいというのが個人的な印象である。
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 珊瑚海海戦の勝利を報じる新聞記事のようであるが詳細は不明。米戦艦カリフォルニア級1隻と英戦艦ウォースパイトを大破とあるのは、いずれも重巡を戦艦と誤認したためらしい。ちなみに、この戦いでは連合軍の重巡の損失はなく、それすらも戦果の誤認である。

 また、レキシントン級1隻の沈没は事実であるが、ヨークタウン級1隻の沈没は誤認である。損害を受けたヨークタウンが応急処置を受けた後、ミッドウェイ海戦に投入されたことは、良く知られるところである。
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戦局の転換

●概要

 本作の3つのキャンペーンシナリオを通じて、第二次世界大戦の太平洋戦線の動向を紹介する。日米開戦に至るまでの政治的状況についても紹介されているが、「真珠湾攻撃陰謀論」やハルノートの過大評価など、うのみにするにはやや偏向的と思われる部分がある。



ワシントン軍縮会議においては主力艦の建造を制限されるなど、
  日本は外交面で様々な抑圧を受けるようになったのだ(44ページ)


 ここだけを見ると、まるで日本だけが建造制限を受けているようであるが、むろんそんなことはなく、参加国の米英日仏伊の5国すべてに課せられた制限である。



●だが、日本軍の占領は、都市と鉄道を結んだ「点と線」でしかなく、
  中国軍を追い詰めるには至らなかった(46ページ)


 日中戦争が長期化した一因であるが、皮肉にも、本作では文字通り「点と線」で基地が結ばれている。よって本作では、史実の日本兵の苦しみを味わうことなく、中国大陸の制圧が可能である。



●11月26日、ハル国防長官は、
  最後通牒として日本の中国からの撤兵を求める覚書(ハル=ノート)を
  提出した(47ページ)


 調べれば調べるほどややこしくなるのがハルノートである。とりあえず、ハルノートには、条件の期限が提示されておらず、そのために国際法的な最後通牒としての役割は果たされないもののようである。さらに、これは法的拘束力を持たない試案であるという旨が文書の冒頭に明記されている。

 しかし、その一方、ハルノートが日本側の妥協案を一切認めない姿勢を示すものであったこと、それゆえに日本側がハルノートを最後通牒のように受け取ったことも事実である。ところが、ハルノートが提示された1941年11月27日よりも前の11月5日の御前会議において、日本側はすでに開戦を決意している。この視点からすれば、ハルノートは、その決断を決定的なものとしただけのように思える。



そこでアメリカ政府は、
  最後通告ともいうべき「ハル=ノート」を提示して交渉を決裂させ、
  日本に真珠湾攻撃を仕掛けさせた(49ページ)


 俗に「ルーズベルト陰謀論」というやつである。48ページ上部の年表には、「11月26日」の項に「米、ハル・ノート提示」、「日本機動部隊、単冠湾集結」の2項があり、関連性があるように見えるが、実際には、これは大きな誤りである。

 まず、この日は日本機動部隊が単冠湾を「出港」した日であり、「集結」自体は22日に終わっている。また、ハルノートが日本に提示された日は現地時間で表されており、日本時間では翌日となる。この誤りがミスリードを誘っているのだとしたら、どうあっても褒められるやり方ではない。

 これらのことから、「ルーズベルト陰謀論」が事実であろうとなかろうと、少なくとも真珠湾攻撃とハルノートは直結するものとは思えない。そもそも、前述のとおり、日本は11月5日の時点で開戦を決めており(*)、ハルノートは、その決断を決定的なものとしたに過ぎないと考えられるためである。



●満州事変からの日本の侵略をすべて認めず、
  事変以前の状態に戻せというような内容だった(51ページ)


 満州の扱いも、ハルノートをややこしくしている要素の1つである。要は、ハルノートの要求する「中国からの撤兵」と「蒋介石政府を唯一の中国政府と認める」という条件が満州を含むかどうかということであるが、これが満州を含むものであるとすれば、満州国は認められず、日本は満州から撤退しなければならないということになる。

 しかし、ハルノートの文中には「満州」の語は一切なく、これまでの交渉でも、中国と満州は別に扱われてきた。また、4月16日の会談では、アメリカ側も満州国を承認している。これらのことからすると、少なくともハルノートでは満州は話題に上がっていないのではないかと思われる。



●だが、これは日本海軍を刺激し、
  米空母の存在を危惧した山本五十六連合艦隊司令長官は、
  艦隊決戦をめざしてミッドウェイ攻撃を主張する(50ページ)


 「これ」とはドゥーリットル爆撃のことである。実際には、それ以前より山本は「MI作戦」の実施を決定しており(*)、その旨は60〜61ページの「ミッドウェイ海戦」の項でも解説されている。

 ただし、トゥーリットル爆撃と「MI作戦」は無関係というわけではない。もともと、「MI作戦」は博打的要素の高さ、補給線の問題、ミッドウェイ島の戦略的価値、陸軍の反対などの事情により、反対する意見も強かったが、この爆撃が米空母に対する危機感を強め、作戦の遂行を後押しするかたちになったという。



これを期に、戦争を進めてきた東条内閣は失脚し、
  内閣は総辞職した(54ページ)


 ここでの「これ」とは、サイパン陥落のこと。本作の「会議」に登場する総理大臣は、ハゲ、メガネ、ちょび髭と、明らかに東条英機をモチーフとしたデザイン(名前は登場しない)がなされているが、彼が総理を辞職した後のシナリオでも、グラフィックが変わることはない。
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作戦再考

●備考

 こちらではショートシナリオの時代背景を解説している。ちなみに、本作には練習用シナリオとして「シナリオ0 ハワイ作戦」があるが、これに関する情報は掲載されていない。



南方作戦の範囲は、
  太平洋の西半分と東南アジアのほとんど全域を含む
  空前の規模だった(56ページ)


 これに加えて東では太平洋でアメリカ軍と戦い、西では日中戦争以来中国を戦場にしているのだから、北以外のほとんどすべての方面に手を広げたことになる。そして最後には、北のソ連をも敵に回し、大日本帝国は滅亡する。



●南方作戦は大成功だったが、その勝利に酔いしれ、
  作戦ミスや戦略的錯誤はほとんど問題にされなかった(59ページ)


 セイロン沖海戦では、コロンボ攻撃隊から再度の攻撃要請があり(*)、南雲艦隊が対艦用の兵装を対地用に換装させたところ、敵艦隊を発見したため、再度対艦用の兵装に転換、そのうえで敵艦隊に向かわせるという、後のミッドウェイ海戦と同様の判断を行っている。また、防空や索敵においても不備があったという。

 しかし、ここでどうにかなってしまったたため、ミッドウェイ海戦でもどうにかなると考えたという見方も成り立つ。やはり人は一度痛い目を見ないと、学ぶことが難しいようである(*)。

 また、フィリピン戦では、マニラ攻略後、バターン半島に籠るアメリカ軍の戦力を過小評価し、フィリピン侵攻部隊の一部を他方面に回している。これにより、残る部隊による第一次攻撃は失敗、結局は再度の戦力の増強を経て攻略に成功しているものの、本来の作戦計画に対して大幅な時間超過となった。



この時南雲艦隊の各空母の甲板は
  爆弾を抱えた艦載機で埋まっており、
  もっとも危険な状態にあった(62ページ)


 ミッドウェイ海戦では、この直後にアメリカ軍の急降下爆撃を受け、南雲艦隊が壊滅する。あと5分の猶予があれば、この航空隊を発進させることができたということから、この状態は「運命の5分間」などと呼ばれる。

 しかし、現在では、「運命の5分間」そのものが嘘であったと言われている。実際には、このころの南雲艦隊は米軍機の波状攻撃を直援機で迎撃し続けており、攻撃隊を出すことができない状態にあったようである。



しかし、夜が明け、敵機に襲われるのを嫌った三川中将は、
  敵輸送船団を攻撃せずに帰投を決意した。
  今後のガ島争奪の激しい消耗戦を考えると、
  これは重大なミスを犯したといえよう(65ページ)


 実際には、三川艦隊が夜襲を仕掛けた時点で米輸送艦隊は逃走を開始しており、この時点での米軍に対する補給は延期、三川艦隊は最低限の目的を果たしていると言える。また、米輸送艦隊が退いたことにより、これを追撃するリスクはさらに高まっており、三川の判断が必ずしも誤りであるとは思えない。



マリアナ諸島を中心に起こった決戦は、
  長年日本海軍が描いてきた対米基本戦略であった(69ページ)


 そう言われれば、確かに「マリアナ沖海戦は、進撃する米軍を迎え撃つ艦隊決戦思想に近いものであるとは言える。しかし、その結果を持って、この計画そのものが失敗であったというには、あまりにも酷であると思われる。

 むしろ、この戦いから艦隊決戦の問題点を見るとするならば、敵の進行方向の予測の問題が挙げられる。これは本項にも述べられているが、日本軍は決戦地点を
パラオと予測したのに対し、アメリカ軍はサイパンに侵攻、この読みが外れたことにより、サイパンは手薄な状態のまま、アメリカ軍を迎え撃つことになっている。

 仮に真珠湾攻撃を行わず、当初の想定通り艦隊決戦を挑んだ場合、マリアナ沖海戦よりは有利な戦いを展開できるとは思われる。しかし、相手が自由に攻撃先を決められるのに対し、日本軍は相手の侵攻ルートを正確に予測できないと、想定通りの戦闘が行えない。これは、防戦における最大の問題点であると言える。



●アウトレンジ戦法(69ページ)

 航続距離の長い航空機を使い、敵航空機の航続距離外から攻撃を行おうとする戦術である。しかし、敵の航続距離内に入ってしまえば、当然迎撃は受けるわけであり、パイロットの練度の不足もあって理論倒れに終わった。なお、敵潜水艦に対する対策は全くなかったらしく、文字通り足元をすくわれる形で、大鳳と翔鶴など2隻の空母を潜水艦に沈められている。



●状況はミッドウェイの日米を逆にしたような形であった(71ページ)

 確かにアメリカ軍の上陸作戦に対し、それを日本が待ち伏せる形で先手を取ったことや、パイロットの技量、戦力の差などは、見出しの通りであり、その意味では面白い視点である。しかし、日本がミッドウェイ海戦の米軍のように、ワンチャンスで逆転できるかと言えば、それは不可能であるとしか言いようがない。

 まず、本書でも述べられているように、アメリカ軍が小沢艦隊が確実に存在していると知っていた点と、レーダーによってミッドウェイ海戦のような不意打ちは事実上不可能であるという点が挙げられる。

 さらに、アメリカ軍は空母を3つの艦隊に分散し、それを4隻前後の巡洋艦と10隻以上の駆逐艦で取り囲んでいる。幸運に幸運が重なり、それこそミッドウェイ海戦のように空母を襲撃、撃沈することができたとしても、3つの艦隊群のうち2つは健在である。そのため、最善を尽くしたとしても、「一矢報いる」のがやっとであると思われる。



ここで栗田艦隊が突入していれば、
  どれだけ敵に損害を与えていたかはわからない(75ページ)


 「謎の反転」と呼ばれる栗田健男の判断のことである。25日9時30分の時点でレイテ湾所在部隊から大本営海軍部にもたらされた情報(*)によると、この時点でレイテ湾には、少なくとも戦艦6隻、空母2隻、巡洋艦6隻、駆逐艦10隻、輸送船80隻が存在していたという。

 この艦隊は、先のスリガオ海峡海戦で西村艦隊を壊滅させたオルデンドルフの第7艦隊であり、そのために弾薬を消耗していたとも言われているが、やはり補給は行われており、相応の戦闘能力を維持していたらしい。少なくとも、無抵抗の輸送船だけを一方的に攻撃できる状況にはないことだけは確かである。

 さらに、連合軍の上陸作戦は5日前の10月20日から行われており、5日後の段階では、相応に輸送作業が進展していたことは間違いない。また、突入に成功したとしても、最後には引き返してきたハルゼー艦隊に退路を断たれると思われる。

 つまり、レイテ湾に突入した場合、最良の結果でも空の輸送船を攻撃した後に壊滅、最悪の結果としては、スリガオ海峡海戦の二の舞になると考えられる。それでも、命令であるからには、それを行うのが軍隊というものであるが、敵主力艦隊を発見した際には、そちらを攻撃する権限が栗田には認められていた。

 その結果として、栗田は最新情報として入った敵艦隊を追い、レイテ突入を断念することとなった。これらのことからすると、この作戦は、栗田の判断以前に、作戦そのものの段階で問題があったのではないかという印象を抱いてしまう。



●日本軍の戦略的勝利(おとり作戦)は
  栗田中将の反転で台無しになってしまった(75ページ)


 小沢艦隊がハルゼー艦隊を釣り上げたことを「戦略的勝利」と断言して良いのかという問題点は置いておくとして、これについては、前のページ(74ページ)に「おとり作戦成功の報は栗田艦隊に届いておらず、栗田中将は海峡を無事通過できた理由が分からなかった」と、その事情について明記されている。

 さらに、戦闘中は味方からの無線と敵無線から傍受した情報が入り乱れ、栗田艦隊では、小沢艦隊からの連絡がないことから小沢艦隊は壊滅、米軍の無線傍受から、レイテの守りが固められたものと判断したらしい。

 このような状態で敵機動艦隊発見の報告が入ったため、栗田艦隊は、それを目指したことは間違いない。しかし、この情報は誤報であり、結果として栗田艦隊は、存在しない敵部隊に向かうこととなった。戦後、栗田は反転について、「疲労によって判断を誤った」と語っているが、このあたりの情報の取捨選択を誤ったことを指しているものと思われる。
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